ギリシア国旗

よしこのアテネ滞在記/1997


1997年夏

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(目次)



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成田発

5月29日(木曜日)

 12:00成田発のSQ997便にて日本出発。シンガポール・エアはオープン・チケット(ヨーロッパの航空会社ですとFIXで帰りの変更ができませんが、OPENなら空いてさえいれば変更OKです)がありますので良く利用します。ただシンガポール〜アテネ間が週2便しか飛んでいないのでこの路線を利用される方、予約は早めに入れましょうね。

 シンガポールからのお隣さんはソウルの大学生。こんな時英語の苦手な私の対処法をお教えしておきましょうか。まずこちらから先に声をかけ、出来たら何でも良いから質問してしまうことです。あちらが考えている間こちらには余裕が出来ますし、相手は理解してもらおうと言葉を選んで答えてくれますので一石二鳥、良い英会話の勉強になります。

 秋には韓国に行こうと思っているので物価や食べ物のことを聞いていたら、「えっ、ソウルにくるの9月なんですか?ちょうど僕兵役でいないや。でも僕の部屋空いているから使っていいですよ。母にはちゃんと話しておきますから」と言ってくれました?!

 「兵役があるなんてイスラエルと同じね」と聞くと、「あの国は男女共でしょ。韓国は男子だけなんです」と最後には「女子はずるいですヨネー」という口調になりまるで日本の学生と話しているようでした。2年2ヵ月の兵役後は彼ももう少しシャンとしているかな?


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ギリシアのインターネット事情

5月30日(金曜日)

 早朝5時半、アテネのエリニコン国際空港着。ここのインフォメーションで市内地図をもらい、右:デクシア、左:アリステラという言葉を教えてもらって(すっかり忘れていたので確認のため)、空港バスで市内中心に向かう(料金は160ドラクマ)ソウルのチョンソン君と別れてタクシー乗り場へ。

 タクシーはメーター制です。アテネ市内は大通りも含め一方通行の道が多いのでそれを知らないと「遠回りされているのでは?」と疑ってしまいますが、そうではないのでご安心を。が、ホテルや観光地以外の個人の住宅にタクシーで行くのは至難の技。先ほど確認した右と左の言葉だけでなんとかアパートにたどり着くつもりです。やや悲壮な覚悟で乗り場に向かっていると後ろから呼び止める声。

 到着日時を連絡しておいたので大家さんがタクシーを手配してくれていたのです。地獄に仏、うれしかった。

近所のギリシア教会
 近所の教会は外装工事が終了したらしく(珍しく早い)、クレーンが姿を消して落ち着いた雰囲気を取り戻していました。

 到着を告げると早速隣室の大家さん(日本の方です)がお茶を飲みに見えましたので、頼まれていたWINDOWS95の日本語版をはさんで、最近のギリシアのインターネット事情を中心に会話がはずみました。


 「いよいよOTE(ギリシア国営の電話会社。日本のNTTに当たるもの)が接続サービスを始めることが決まったの。これでやっとギリシアの家庭にもインターネットが入るのね。で日本語版のWINDOWSをお願いしたというわけ」という説明。

 まだサービスが開始されていないので詳細は不明だそうですが、昨年4月アテネでのプロバイダー捜しから始まり、メールを拾うのにも一度パソコン通信の中に入ってからと煩雑な操作を強制され苦労したことを思うと隔世の感があります。


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アテネのイースター(復活祭)

昨年の日記から : 1996年4月11日(木曜日)

 4月のアテネは予想以上に気温が低く「日本よりは暖かいだろう」と初夏の服しか用意してこなっかた私は着るものにも困ってしまいました。アパートの管理人さんが休暇で不在のため部屋のスチームも使えず、マッチ売りの少女が迎えたクリスマスのように寒さに震えて迎えた異国でのイースターです。

イースターウサギ
 明日からのイースター(復活祭)休暇を前にマーケットは買い物客で混雑しています。肉屋の店先には目玉も歯もしっかり揃った丸裸の子羊がズラリと吊り下げられ、一種異様な雰囲気です。

 「イギリスの狂牛病の影響で牛肉を避けているのかな?」と思っていましたが、後で知人に尋ねると「イースターには羊の丸焼きを食べる習慣があるから」ということでした。丁度、日本の正月の新巻き鮭のようなものでしょうか。


 又、どの店の店先にも可愛いウサギと赤い卵の飾りがみかけられます。これは時々利用していたケーキ屋さんでもらったシールですが、卵はとも角ウサギにはどんな意味があるのでしょう?



1996年4月13日(土曜日)

 零時(14日)になると街のあちこちで爆竹の音が響きます。窓から見下ろすと教会の聖なる火をロウソクに受けた人々の家路を急ぐ姿が見かけられます。ロウソク・パレードのようでなかなか美しい眺めでした。家に持ち帰ったこの火で調理をして、これから晩餐が始まるのだそうです。「ギリシア人はこの日はずーっとご馳走を食べ続けるのよ」と隣人が教えてくれました。肉屋の子羊はこの日のためのご馳走だったのですね。

 大晦日に年越しそばを食べながら除夜の鐘を聞き、正月三が日はお節料理を食べて過ごす私たちの風習とちょっと似ていませんか。


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久しぶりの朝市

6月2日(月曜日)

 昨年の秋以来8ヵ月ぶりの朝市。この季節果物は豊富でカラフル、しかも安い。いちごにサクランボ、オレンジ、メロンにすいか。ギリシアのサクランボが大好きなので早速1キロ買いました。店によってキロ 750ドラクマ〜1000ドラクマとまちまちですが、どちらにしましても日本円で500円もしません(1キロで、ですよ)。

 1キロ400ドラクマほどの量り売りの青菜類は、見慣れたほうれん草から見たこともない物まで種類も多い。ミソキロ(0・5キロ)も買えばビニール袋に一杯です。甘みがあっておいしい玉ねぎ、ニンジン、トマトに卵に牛乳、最後にトイレット・ペーパとお花を買って「アー、ギリシアに来たんだ」。

朝市

赤・緑・黄色 : ピーマンも信号のようにカラフルで大きい!

 部屋に帰って縫い物をしていると、いつも私にシャガールの絵を連想させていたあのアコーデオンの音色が聞こえてきました。「アコーデオン弾きさんも健在!」懐かしい限りです。


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黄色いポスト

昨年の日記から : 1996年5月20日(月曜日)

 今週初めてサクランボを見かけました。まだ粒は小さいのですが、これを見るとギリシアの夏が近いことがわかります。また、先先週から出始めたそら豆が週を追う毎に大きくなっていくのは感激ものです。こちらではあのさやも食べるということで、「メガロ(大きいもの)」といって選り分けている私たちの横で、「ミクロ(小さいもの)」を選んでいる人もいるのですからよくできています。

黄色いポスト
 近くの郵便局に手紙をだしに行った日本からの客人、この黄色いポストを見て「アラッ」とうれしそうな声をあげました。そういえば日本のポストは「赤」でしたっけ。

 それとこのマークにご注目下さい。昔は郵便配達人がラッパを吹いて手紙の配達を知らせたというところからまずはラッパ、そしてその中央に描かれているのはヘルメス。

 ギリシア神話では伝令の役目を与えられている青年神で、ヘルメットに翼もしくはサンダルの踵部分に翼が描かれていたら彼だと思って間違いありません。神話の国らしいマークですよね。


 国によって多少の違いはあるものの、ヨーロッパではラッパを使用した郵便局マークが多いようです。(大手町の逓信博物館の資料室で調べられます。)皆さんも海外旅行に出かけた時にはポストに注意してみて下さい。新しい発見があるかもしれませんよ。



アコーデオン弾き

 時々ですがどこからかアコーデオンの音色が聞えてくることがあります。シャンソン、映画音楽、ロシア民謡・・・、だんだん近づいてくるその音色に思わず窓を開けて外を見ると斜め向かいの家の下で「アムール河」を弾いている人がいます。 どうやらお金を落としてくれた家の下で一曲奏で、また別の家へと歩いているようです。ちょうど夕方から夜にかけての時間帯ということもあり、その音色は物悲しく街に響きます。

 私はこのアコーデオン弾きがくると、いつもシャガールの絵を思い浮かべてしまいます。ロシアの寒村にユダヤ人として生まれたマルク・シャガールの絵には、「ロシアの寒村」「サーカス」「ブランコ乗り」「バイオリン弾き」などが繰り返し描かれていますが、その哀愁をおびた画面が何故かこのアコーデオンの音色とオーバーラップしてしまうのです。

 長野県の白馬村にシャガールの美術館があります。少しゆっくりしたい時、季節外れのこの美術館はいいですよ。私も年に一度は訪れ、静かな時を過ごしています。


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プラカにやきそば屋さん

6月3日(火曜日)

 シンタグマ(アテネの中心)から10キロの住宅街に住む邦子さんに、昆布や素麺などの日本食をお裾分けしようと待ち合わせしましたら彼女は30分の遅刻。開口一番「1時間もかかっても着かないから途中でタクシーに乗り換えたけどこの時間。早く地下鉄が開通してくれないかしら」。

 慢性的な交通渋滞を解消するために、アテネでは地下鉄の工事があちらこちらで行われていて、これが街の美観をかなり損ねてもいるのですが、なにぶんにも"シガ、シガ"(徐々にとかゆっくりとかの意)のお国柄、工事ははかどっていないようです。街の風景(工事の進み具合?)は昨年と同じ、でしたもの。

 車に対しては「奇数日にはナンバープレートの番号が奇数の車、偶数日には偶数の車しか市内に入ることを許さない」という方法を取っていますが、彼女に言わせると「郊外に住む金持ちは2種類のナンバープレートを用意している(つまり車を2台所有)からあまり変わらないわ」。

店員さん
 お互いの近況報告をした後彼女が「この近くにやきそばの店が出来たのだけれど食べに行ってみない?」「モチロン!」

 シンタグマ広場からプラカに向かってすぐのAPOLONOS通りに「風林火山」という暖簾も勇ましくそのお店はありました。「ラッシャイ!」と威勢の良い掛け声で日本人の店員さんが迎えてくれ、メニューもモチロン日本語。


 広島直輸入の焼きそばは具によって1250〜2000ドラクマ(570〜900円)、お好み焼きは1100ドラクマ(500円)で、かき氷も400ドラクマ(約200円)で食べられます。シグマやベーターというギリシア文字に偏頭痛を感じている人にはありがたいお店。 平日は11:30〜17:30、土曜日は12:00〜15:30とランチ・タイムの営業ですので昼食にいかがですか。(日曜はお休み)


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ギリシアもお墓難?

 食後はシンタグマのネオンに戻りティラミス・アイスを食べながらまたおしゃべり。いつしか話は結婚式からお葬式とお墓の話に変わっていました。

 「ギリシアでは宗教上火葬が認められていないから土葬でしょう。しかもそれを4年後には掘り返して骨壷に納めるわけ。以前は3年で良かったのが今は4年、アテネに人口が集中してきたのでお墓も休みがなく土に力がなくなってきているの。アー、やだ。私は火葬にして欲しいな」ですって。

 そういえば昨年も誰かに「日本人旅行者や商社マンがこちらで亡くなると大変よ。ギリシアには火葬の設備がないから日本に運ぶのにかなりお金がかかるの。ヨシコさんもその分の保険ちゃんとかけて来なさいね」と言われていましたっけ。

 「ところで葬儀費用は?教会でするならあまりかからないんでしょう?」
 「とんでもない、日本と同じよ。教会の飾り付けに棺に司教さんへの謝礼(この金額により読経の時間も異なるという所はいずこも同じ)、普通で100万ドラクマぐらいかかるんじゃないかしら?」

 約50万円ですが、この国の物価感覚からするとほとんど日本の100万円と同じ。生前葬や自由葬などが認められ始めた日本の方が選択の幅がある?

 誕生から結婚、葬儀にいたるまでギリシア正教と人々の生活とは切り離せないほど深く結びついています。社会主義の政党(PASOK)が政権を握ってからは市役所などでの「市役所婚」も認められるようになったそうですが、「これがまた問題なの。そのカップルに子供ができても”教会の祝福を受けていない”という理由で洗礼を断られたり、葬儀を断られたりしているみたい」

 それは大変、彼女でなくとも「どうなるんでしょう」と心配になってしまいます。


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アレクサンダー大王

6月5日(木曜日)

 あのアレクサンダー大王の故郷が何処だかご存知ですか? それはギリシア北部のマケドニア地方。今日はその中心地テッサロニキへ、節約のためバスで行くことにしました。所用7時間半となっていましたので7時の始発バスに乗り遅れないよう5時起きです。6時40分、丁度良い時間にターミナルAに着いたと喜んだのに(昨年のメテオラでは乗り遅れましたので)窓口で「エイト・オクロック(8時)!」・・・・?。何故か始発は8時に変更になっていました。そういえばインフォメーションでもらった時刻表の最後に

 「バス時刻の変更、キャンセルに関し当局は一切責任を負いません」


ペラ遺跡

アレクサンダー大王生誕の地 : ペラ遺跡

 アレクサンダー大王の父、フィリッポス2世の墳墓からの出土品を集めた必見の「考古学博物館」、この写真の「ペラ」、墳墓のある「ヴェルギナ」、そして古代マケドニア人の聖域「ディオン」の旅の奮闘記は テッサロニキにまとめてあります。


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12時間がかりの帰宅

6月8日(日曜日)

 古代マケドニア人の聖域「ディオン」、ここにローカルバスを乗り継いで行くのも昨日は苦労しました。詳しくは テッサロニキ編をご覧いただくとして、アテネに帰ってくるのがこんなにも大変だとは思いもしませんでした。というのも前日にアテネ行きバスの発車時間を確認せずにいた私が悪いのですが、10時半に到着したカテリニのバス・ターミナル窓口で「アテネ」というと「15:00」と書いた紙を差し出されました。

 この街からアテネへは : 09:00、15:00、24:00 という3便のみ!

ディオン、オールド・シティ

ディオン遺跡 : オールド・シティの石畳

 15:00に出発したバスは大音響のギリシア音楽と共に(乗客サービスというより運転手さんの好みで)6時間かけてアテネへ。行きは苦にならなかった乗車時間も音楽も5時間近い待ち時間の後では拷問に等しい。「HELP!」

 しかも到着したバス・ターミナルの様子が行きとは違う「??」。すぐに頭の中の地図を「ターミナルAからターミナルB」へと差し替えをして事無きを得ましたが、それも昨年メテオラに行った時ここを利用したので記憶装置が働いたまでのこと、初めてだったら完全にパニックになっていたところでした。


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メアンドロ/指輪を買いに

6月10日(火曜日)

 昨日からヨルダン・シリア・レバノンという中東3ヶ国歴訪のための服を作成しています。世界地図を広げればお分かりのようにギリシアと中東諸国とは地中海を挟んだ隣国。中東が政情不安な頃(今でも多少?)ギリシアに日本人が多く住んでいたのは商社マンの家族が多かったからだそうで、「今は少なくなって700人しかいないのよ」とはアテネの友人の話です。

 また脱線してしまいました、服の話に戻します。どんな服かといいますと体の線が外部から想像も出来ないほどのルーズフィットのロング・コートです。襟も高く、袖も長く、丈もくるぶしまでと思い切り長く作りました。後はボタンを買ってつければでき上がり。とても日本では着られないような服ですがこれで彼らの視線を遮りましょう。

 「なぜ?」と思った方、イメージがつかめない方、インドネシア編の イスラム・ファッション の項で簡単に説明してありますのでご覧ください。



 円最高値を記録した時に替えた旧100ドル札をまだ持っています。この100ドル紙幣、偽札が横行したので新札に切り替えられてもう久しいという代物。貧乏旅行に100ドルは使いにくくつい残ってしまったのですが、使えるうちにアンマン行きのチケットと中東旅行用の指輪にかえてしまいましょう、と1週間ぶりにシンタグマに。「何故旅行用に指輪がいるの?」かと言いますと、

 イスラム社会では女性が一人で旅をするなんて「考えられない」ことらしく、男性達の好奇の視線は避けられない( トルコ でもそうでしたもの)。ただ薬指にリングをしていれば既婚女性としてやや尊重してもらえるというので「指輪は効果的」とロンリープラネット(オーストラリアのガイドブック)に書いてありました。もっと効果があるのが家族の写真、特に「夫」の写真だそうで「独身者はいとこの写真でも持って行きなさい」ですって。

 せっかくですからギリシアらしいあの模様、予算は1万円と決めて捜しに行きました。そうギリシアに旅行された方なら「アー」とわかるあの模様です。貴金属は値段が見えないようになっているので選ぶ時はドキドキでしたが、交渉の末なんとか20,000ドラクマ(約9,000円)と予算内、「ホッ」。

 このギリシア的伝統模様が「メアンドロ」。物知り大家さんに聞くと「中国からシルクロードを伝わってこの国に入ってきたのよ。"鍵"模様だって地元の人は言っているわね」。道理でラーメンどんぶりの縁取り模様と似ていると思いました。

 さあ、本日購入した指輪と製作中の服の効果はいかがなものでしょう。見かけより臆病な私、アンマン行きを考えると武者震いのような鳥肌が立ってしまいます。



本日のレート

 プラカ周辺には「ちょっと歩けば両替所の前」、というくらい両替所が多いのです。試しに3ヶ所で例の旧100ドル札を出してみました。店によってレートも違えば手数料も応対も違いましたが、一番良かったのがプラカのやきそばや「風林火山」と同じ通り斜向かいにあるCAMBIO。パスポートの提示や連絡先まで聞かれましたが(それが旧100ドル札のせいかどうかは不明)手数料無しの1ドル272ドラクマ。でも平均すると

1ドル=270ドラクマ
100円=220ドラクマ

 というところでしょうか。1997年6月現在です。


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バス料金と検札

昨年の日記から : 1996年5月5日(日曜日)晴れ

 今日も良い天気です。日本ではゴールデンウィークの真っ只中、きっと行楽地は混雑していることでしょう。こちらは、当然のことですがいたってのどかな普通の日曜日です。先日町に出た時バスの検札に会いましたので、今日はその話をしようと思います。

自動改札機

自動改札機のある車内
 バスとトロリーの共通券は一律75ドラクマ、バス停近くのキオスクかチケットボクスで買います。日本ですと回数券を買えば1枚余計に付いてくるのが普通ですが、こちらでは回数券でもそのサービスはありません。まとめ買いは単なる煩雑さ防止。

 バスもトロリーも、乗ったらすぐに、中央ドアの向かいにあるこのオレンジ色の自動改札機で自分で日付をいれることをお忘れなく。降りる時は日本と同様車内のボタンを押して下さい。そして、下車後は直ちにその切符を捨てましょう。何故なら、


 この日まで私は、使用済みのチケットも捨てずにポケットに入れていました。と、あるバス停から乗り込んできた男性が突然切符のチェックをはじめたのです。慌ててポケットの中の使用済み切符を全部出したものですから、うさんくさそうな目でジロリと睨まれてしまいました。自動改札をおこたるとこんな時多額の罰金を取られるそうです。 御用心、御用心。



 昨年買った回数券が大量に余っていましたので今年もそれを使っていました。その券も残り少なくなったのでいつものお店に「これと同じ物を」と買いに行くと渡されたのは100ドラクマの回数券。「75ドラクマ」と繰り返すと「それはもう使えない」と言われてしまいました。

 朝市の野菜の値段も地下鉄工事の様子も去年と同じだったので「変わらないことへの安心感」を感じていたのですが、何時の間にかバス料金は値上がりしていたようです。この間検札に会わずに良かった。


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ヨルダン

6月15日(日曜日)

 アテネ発17:00、RJ 137便でヨルダンの首都アンマンへ。飛行機の窓から見えたこの国は赤茶けた起伏のある大地、「モーグルのコースみたい!」が広がっていました。

砂漠の朝

ワディ・ラム砂漠 : 朝の陽射し

 不安を背負って降り立った砂漠の街はどこでも「Welcome!」と人々が笑顔で迎えてくれました。ペトラ・ジェラシュの他にワディ・ラム砂漠での2晩のキャンプという予定もしていなかった経験まででき充実の中東旅行の始まりです。


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ただ今!

7月7日(月曜日)

なんと キプロスからの帰宅です。

ヴィーナスの生まれた海

ヴィーナスの生まれた海

 情報も車もないキプロス観光は苦労の連続でしたが、「ヴィーナスがこの海の泡の中から生まれた」という伝説のある場所で泳げた時にはそれらを総て忘れるぐらい「シ・ア・ワ・セ!」な気分でした。


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国立博物館

7月13日(日曜日)

 確か日曜日は入場料が無料のはず、と出かけてみましたがしっかり2000ドラクマ取られました。昨年は「日曜日無料」を実施してみたけれど、今年は「止めた」のだそうです。「この国は良く変えるから困るのよね」とはアテネで旅行会社に勤めている知人の話。遺跡の入場時間も同様で、面食らうこともあります。15:00までだと思って行って18:00までに変更になっているなら問題ないのですが、その反対だと悲劇ですよね。

国立博物館

国立博物館

 昨年は撮らせてもらえなかった サントリーニ出土の壁画ですが、今年は「ノー・フラッシュ」と言われただけでお咎めなし。これはうれしい誤算、「ボクシングをする少年たち」、「漁師」、「2匹のアンテロープ」などの名作をバッチリおさめることができました。


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自然食とピザの宅配

 1981年の EC(ヨーロッパ共同体)加盟以来、外国資本がどんどん入ってきているそうで、街の中心シンタグマ広場に面したマクドナルドは連日大賑わいです。このマクドナルドに代表されるようなアメリカナイズされた食べ物を、庶民が日常的に口にするようになったため食生活に変化が出始めていると人は言います。

 "自然食品店"の登場もその変化の一つ。店内には無添加食品・胚芽入りのマカロニやスパゲッティー・雑穀類、そして、soy sauce(醤油)などが並びます。この醤油コーナー、タイ、アメリカ、中国、日本、...と各国産が並びなかなかインターナショナル。 昨日は日本産が品切れだったため、アメリカ産の物を購入してきましたが、150mlで310ドラクマ(約150円)払いました。日本の醤油ですとその倍近くするそうです。

 肥満、成人病も増えているそうで、「ギリシアの食べ物はそれ自体が自然食だったのにねー」と、ギリシア通を嘆かせていました。どこかの国と良く似ていますよね。



PIZZA の宅配

 ハンバーガー同様ピザも好まれている様で、街を歩くとピザ屋さんが多いのがよくわかります。私の住んでいる地区は住宅街ですので、時々ドア下の隙間からピザの宅配便の宣伝ビラが入ってきます。

ピザ
ピザ

 こんな可愛いチラシが入ってきていましたのでご紹介しますね。両方ともなかなかのものでしょう。
「味は?」ですか。実は、メニューが総てギリシア語なので解読できなくて未だに注文出来ずにいるのです。


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スパルタとミストラ

7月18・19日(金・土曜日)

 遺跡を特集した本の中「失われた都市」の項にミストラの名をみつけ、急に行ってみたくなりました。「中世のポンペン」と呼ばれている廃虚とは一体どんなところなのでしょう。アテネよりバスで4時間半、泊まりは「スパルタ教育」という言葉に今もその名を残す古代ギリシアのポリス国家、スパルタです。

 スパルタの南西6キロ、山の中腹の廃虚ミストラはこの急な斜面に石畳をひき教会や宮殿を建てた人々の執念と空しさが伝わってくるような場所でした。道しるべに導かれて教会を巡るうちにまるで「お遍路さん」をしているような気持ちになってきます。

 こで印象的だったのは、急な斜面に点在するビザンティン時代の教会の数々ではなく砦のある山頂から見下ろしたこの谷。古代のスパルタでは強い兵士を育てるため「生まれてきた赤ん坊が障害を持っているか虚弱であれば谷に捨てた」と言われていますが、ここがその谷。

タイゲスト谷

ミストラ : 虚弱児を投げ捨てたというタイゲストの谷

 スパルタのホテルでは衛星放送が見られました。この日の日本に関する報道は「土用の丑の日」。海外から空輸された大量の「生きうなぎ」、これが海蛇のように見える映像を繰り返し放映していました。日本でこのニュースを見ていれば「おいしいそう」と思うか「さあこれから夏本番」と季節を感じたのかもしれませんが、この報道の仕方ではかなり「異様な風習」(?)に思える。我ながらおかしな心理です。

 人間の意識でも「所変われば品変わる」様ですが、「うなぎの蒲焼き」で昨年友人達と食べに行った「バカヤロー」というギリシア料理を思いだしていました。さあ、これはどんな食べ物でしょう?


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「バカヤロー」って何?

昨年の日記から : 1996年5月25日(土曜日)

 ミコノスからアテネに帰りまずは行き付けの日本食レストランで、板さんとおしゃべりを楽しみながらの夕食です。ここで「バカヤロー」という名のギリシア料理の話を聞きました。

 「エー、ウソでしょう?」
 「本当っすよ。皆さん知らないんですか?」

 さあ、これはジョークでしょうか、本当の話でしょうか?本当だとしたらどんな食べ物だと思いますか? お寿司とお茶ですでにお腹は一杯でしたが、なにぶん好奇心旺盛なメンバーが揃っていましたので、板さんに教えられたお店にゾロゾロと出かけてみました。

 「バカヤロー、エナッ?」(バカヤローありますか?の意)
 「エナッ。」(あります)

 待つことしばし出てきたのは・・・、鱈のフリッターでした。ギリシアでは「タラ」を「バカヤロー」というのだそうです。これ本当の話です。これにスコルダリィヤというニンニクソースをつけ、レツィーナという松脂入りワインと一緒に楽しむというのが「通」(?)だとか。

 これはなかなかいけました。お値段は〆て3600ドラクマ(約1500円)でした。それにしても、「タベルナ」(食堂)で「バカヤロー」を食べることになるとは思いませんでした。ギリシア語っておもしろいですね。


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風の塔

7月26日(土曜日)

 本日は雲が多くて涼しいのでプラカへ。この時期はどの店も夏服のバーゲンセール中、20%〜50%の割引はジッとしていられないほど魅力的。ファッションストリート、エルムー通りを「見るだけ」のつもりで歩いていたのに何時の間にか(?)水着を買っていました。

風の塔

アテネ : 風の塔
 エルムー通りからアクロポリスの丘を目指し左への道をたどると「風の塔」が見えてきます。ローマ時代の水時計だったというこの塔、八角形という形とその上部にある風の神の浮き彫りがユニークでお気に入りの場所の一つです。

 その浮き彫りですが北風は老人、南風は若者の神様のように(多少欠けていますのではっきりわかりませんが)見えるのが興味深いところ。日本ではどうでしたっけ?


 この日は1年ぶりにアクロポリスの丘に上がってみました。初めて見た時は「大きいな」と思ったのに世界最大というレバノンのバールベックを見た今ではさほどに見えないのが不思議。



プラカ地区

昨年の日記から : 1996年4月25日(木曜日)晴れ、暖かい

 先週までの寒さが嘘のように、一昨日から暖かい日が続いています。空の青さも戻ってきて、やっとギリシアらしくなってきました。今日は、昨年こちらで知り合った自称アリス(日本人ですよ)と待ち合わせ、つもる話をしながらプラカの散策です。彼女は長年の世界放浪の果てにアテネ暮しを選んだ人で、パナマ帽子の下から覗くいくつもの三つ編みが印象的。

 呼び込みの声を聞きながら道路に並べられたテーブルの横をすり抜け、土産物のウィンドーショッピングをしながら歩いていくと突然目の前に遺跡が現れたりします。中でもこの「風の塔」に出会った時は自分で発見したかのように感動し、それ以来プラカに来たら必ず立ち寄るお気に入りの散歩コースになりました。



 追記:「五番街のマリー」という歌をご存知ですか?日本に帰ってきて歌声喫茶でこの曲を歌うと思い出すのがアリスのこと。今日もプラカを歩いているのでしょうか、どんな暮しをしているのかもう一度会っておしゃべりがしたいものです。


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ギリシアの結婚事情

 ギリシアでは皆さん音に寛大、というかさほど気にもとめていないようでこのアパート周辺でもクラクションの音、夜中まで続くテラスでのおしゃべり(外の方が涼しいですから)、突然大音響で聞こえてくるギリシア音楽には悩まされていましたが、この日はいつもとは違う数台の車によるロング・クラクションが町内に響きわたりました。

 「アッ、結婚式だ!」と窓に駈け寄り見下ろすと、

 丁度ウェディング・ドレスの花嫁さんがアパートを出、近所の人に祝福されながら花で飾られたオープン・カーに乗り込むところでした。後続車には黒い帽子の(ギリシア正教の)神父さんの姿を見かけられます。その幸せそうな姿を見送りながら昨年聞いた「ギリシアの結婚事情」の話を思い出しましたのでご紹介しておきます。



ギリシアの結婚事情 -- ドイツ人花嫁は五万人!

昨年の日記から : 1996年4月25日(木曜日)晴れ、暖かい

 ギリシア人は海外へ出稼ぎに出る人も多いということで、相手国は勿論世界各国でしょうが、ECの優等生ドイツは別格のようです。ギリシア人と結婚している日本人が数百人なのに対し、なんとギリシア人の夫を持つドイツ人女性は五万人もいるというのです。

 ギリシア北部に行けば英語よりドイツ語の方が良く通じるという話ですから、五万人という数はともかく、かなりドイツ人及びドイツ文化が入ってきていることは間違いなさそうです。論より証拠「007」シリーズの舞台にもなったことがあるという絶景の地 メテオラで泊まったホテルの奥様もドイツの方でした。

"ギリシアは女性の方が多い"

 らしいのは、その影響(ギリシア男性が他国の女性と結婚してしまう?)でしょうか。



ギリシアの結婚事情パート2

1996年5月5日(日曜日)晴れ

 私の部屋の大家さんは、こちらに住んで?十年という日本女性。とても物知りなので、お話を聞くのが楽しみです。昨晩はワイン片手に一般のギリシア人の結婚事情のをうかがってみました。

 「こちらでは女性が持参金をもっていくのよ」
 「日本と同じですね。で、結納は?」

 「それはないのだけれど、持参金といってもお金で持たせるのではなく、親が娘名義のアパートを結婚時に渡す、というケースが一般的ね」
 「フゥーン」

 「だから上手くいかなくなったら男を追い出せばいいだけよ」
 「スッゴーイッ!」

 「この国では住む所さえあれば、食べていくのは楽にできるから」

 だそうです。なんと合理的で現実的なこと! ギリシア女性は強い。だから男性が怖がって他国の女性を選んでしまうのかもしれませんが、家庭内離婚となっても行く場所がないのでジット耐えている日本の奥様方(それは一昔前の話かな?)に聞かせてあげたいな。えっ、それは困ると言ってらっしゃるのは、どなたですか?


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エーゲ海の島々

7月28日(月曜日)

 ギリシア滞在もあとわずか、最後に旅行するとしたらやはりエーゲ海の島々でしょうか。で、本日より1週間の予定で「エーゲ海のバラ」ロドス島、「医療の神様アスクレピオンの遺跡」のあるコス島、そして「アトランティス伝説」の島、サントリーニに出かけることにしました。

フェリーから見た夕陽

フェリーから見た夕陽

 アテネのピレウス港からロドスまでフェリーで約18時間、7941ドラクマ(なんと半端なこと:約3400円)。ギリシアでは4月〜9月の間、夏時間(時計を1時間早めますのでこの時期日本との時差は6時間になります)を取っているためこの夕陽も午後8時半、これでやっと「お休みなさい」。


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ロドス

7月29日(火曜日)

 ロドス着が午前8時と予定(10時)より多少早い、これなら1日を有効に使えます。

マリン・ゲート

ロドス : マリン・ゲート

 宿捜しの後は旧市街の博物館と騎士の館の見学、午後にはバスで1時間ほどの古代都市「リンドス」のアクロポリスに登り、夕方にはその下の海岸で海水浴。と、この日はチョット働きすぎ、でした。


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コス島

8月1日(金曜日)

 1泊のつもりのコス島でしたがロドスからは高速船が出ていて日帰り可能というのでそれで行ってみることにしました。ただ料金は多少高くて往復12,000ドラクマ、通常のフェリーの1.5倍です。コス島滞在時間は8時間、これなら充分市内の遺跡と郊外(といってもバスで15分ほど)にある医療の神様、アスクレピオンの聖域を見てまわることができます。

アポロン神殿

アスクレピオンの聖域 : アポロンの聖域

 と、予定の見学コースを見て回り18:00の船が時間通り出港したところまでは良かったのです。ところが、やっとロドス島に帰ってきたと夕景色を楽しんでいましたらこれがなんと「トルコ!」。そういえばコス島とトルコとは5キロしか離れていないのでした。

 この直後「波が高くて高速が出せない」とアナウンスがあり「ロドス着は2時間ほど遅れる」と隣席の人が時計を指差し教えてくれました。特急が2時間も遅れたら料金を返してくれるのに船では・・・・、それはないのですね。おかげでこの日は夕食を食べそびれてしまいました。


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サントリーニ

8月3日(日曜日)

 ロドス〜サントリーニは飛行機で移動するつもりでしたが「6日まで満席」。で「翌日の10時にサントリーニに着く」と代理店の人に言われてフェリーにしたのですが、お昼近くなって寄港した場所は「クレタ島」。サントリーニまではそこから4時間半。結局到着が17:30でなんだか1日損をしたような気持ちです。

イアの昼下がり

イア : エーゲ海を見下ろしてのコーヒーブレイク

 サントリーニは観光客が多くて俗っぽいし、ホテルもレストランも何もかも高い。でも、でもです。これぞ「ギリシア!」と人に思わせるのはさすがに「サントリーニ」、ギリシア最後の一時を堪能させてくれました。


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アテネ陸上

8月5日(火曜日)

 アテネに帰ってくるとテレビでは1日中「アテネ陸上」を放映中。 その舞台となっているのが1895年(第1回近代オリンピック開催時)、古代競技場の跡地に当時に近い形で復元建設されたというこのスタディオン。馬蹄形のトラックと大理石の観客席がとても印象的でした。中央後方に見えているのはアクロポリスの丘です。

オリンピックスタディアム

アテネ : オリンピック・スタディオン



8月9日(土曜日)日本にて追記

 鈴木弘美選手やりましたね、女子マラソンの金メダル! 帰国(8月7日)後は時差ぼけ解消もかねて連日深夜のアテネ陸上を見ていましたが、懐かしのアテネをテレビで、しかも日本選手の活躍を終始見ながら観戦できて、「今日は最高!」

 蛇足:テレビでもアナウンサーが言っていましたが「ギリシアの道路は滑りやすい」のです。大理石の粉でも混ぜてあるかのようにツルツル。停車中の車はと見るとほとんどのタイヤの溝は擦り減っているし、皆さんかなりのスピード狂。このタイヤにあの道路でしょう、一体摩擦係数はどうなっているのか、良く赤信号で止まれるものだといつも感心していました。これらの事情を鑑みて、相手がちゃんと止まるまでは道路横断は控えた方が無難なようです。


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