ギリシア国旗

ペロポネソス半島/ギリシア


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Map of Peloponesos Peninsula コリンソスの遺跡 オリンピア カイアファス温泉 ミケーネ エピダウロス ペロポネソス半島


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コリンソス運河

 ギリシア本土とペロソネソス半島を隔てるのは、幅23mというコリンソス運河。半島にはここに架けられた橋を渡って行きます。アテネを出てから約1時間半、路線バスは運河近くのレストハウスで15分ほどのトイレ休憩。歩いてすぐですから高さ80mという橋の上から運河の様子を写真におさめることが出来ます。運が良ければハシケに引かれて通過する船を眼に出来るでしょう。

コリンソス運河

 ギリシア悲劇「王女メデイア」の舞台となったコリンソスの遺跡は現在のコリンソスの町から8キロほど内陸部。遠くからも目につく特徴のある山、アクロコリンソスの麓に広がっています。


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コリンソスの遺跡

 「娘と結婚して、この国を治めて欲しい」と、コリンソス王から勧められたイアソンは心動かされ、メデイアという妻がありながら王女グラウケと結婚の約束をしてしまいます。

 ここからあの恐ろしい「王女メデイア」の幕が切って落とされることになるのです。

コリンソス遺跡

アポロン神殿

 レカイオン大通りに商店街、劇場、音楽堂、アポロン神殿、そのうえ大浴場や水洗トイレまで備えた遺跡の規模は想像を遥かに上回り、かつての繁栄を偲ばせます。この古代の王国には、イアソンの心変わりも仕方がないのかな、と思わせるだけの気品と迫力があり、お気に入りの遺跡の一つとなりました。


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ミケーネ

 トロイ戦争の時のギリシア側の総大将アガメムノン。スパルタ王の兄だった彼はトロイ側に奪われた弟の王妃、ヘレネ奪回のために軍隊を動かします。シュリーマンが発掘し伝説の世界から歴史上の事実 へと姿を変えた、ミケーネはアガメムノンが治めた王国です。

黄金のマスク
 シュリーマンが「アガメムノンのもの」と信じた黄金のマスクは、現在アテネの考古学博物館のミケーネ室で見ることができます。

 その後の調査でこれは彼の時代より数世紀古いと判明。王族のデスマスクとまでは推察出来ても誰の物かは不明とのことですが、「アガメムノン」と信じて亡くなったシュリーマンは幸せでした。

 恋愛同様「あなたの過去など知りたくないの」ってこともあるではありませんか。その方が夢を持って生きられます。




 「黄金に富む」と謳われたミケーネ文明。博物館で黄金細工の数々を見てきましたので、緑豊かな土地を想像してきたのです。けれど目の前にするミケーネの自然は日本の山河とは異質で、私の目には荒涼とした風景に写りました。

ミケーネ(獅子門)
 遺跡へはこの"獅子門"をくぐって行きますが、宮殿跡と言っても石段や壁の一部、土台などが残っているだけなので想像力を駆使しても往時を偲ぶのは難しい。

 人は水と緑がない場所には町を作れない。かつてはここも緑豊かな場所だったと思うのですが、都市の生活や産業を維持するために樹木を乱伐したのでしょうか。


 "獅子門"からミケーネへと少し戻った所に"アトレウスの宝庫"があります。宝庫と言いましても実際は円錐形の石組みが見事な墳墓。これら遺跡の入り口にはマイクロバスを改造した簡易売店が水やスナックを売っています。陽射しが強い遺跡を歩いてきたせいか、絞りたてのオレンジ・ジュースはおいしい。500ドラクマ(1杯約200円)でした。


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トロイ戦争

アンティキセラの青年像
「一番美しい女神は誰?」

 この難問の判定者とされたパリスは、「私を指名してくれたら世界一の美女を貴方に・・・」というヴィーナスの言葉につられ彼女にリンゴを渡します。

 パリスがトロイの王子、そして世界一の美女ヘレネが敵国スパルタの王妃だったことからあのトロイ戦争が始まったと神話は語っています。半分は物語としてもこれでは国民はたまったものではありませんね。

 蛇足 : ヘレネの姉がミケーネ王妃(アガメムノンの后)のクリュタイメストラ、そして彼女たち姉妹の両親が白鳥に変身したゼウスとレダ。このあたりから史実と神話が渾然一体になって・・・、ギリシアを魅力的な国にみせてくれます。

 とても美しいレダと白鳥のモザイクが キプロスのアフロディテ神殿に残されていましたのでここからご覧下さい。


 このパリスと目される「アンティキセラの青年像」がアテネの考古学博物館に展示されています。この像の右手には多分リンゴが握られていたのではないかと考えられているのですが・・・、興味をもたれた方は博物館にも足を運んでみて下さい。


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エピダウロス

 医療の神様と慕われるアスクレピオンは太陽神アポロンの息子、生後まもなく半人半馬のケンタウルスに預けられ彼らから医療技術を学んだといわれています。ここエピダウロスは彼の生誕の地と目され、聖域として栄えた所です。彼の象徴として用いられる蛇は、後世では医療関係の象徴ともなり各地へと伝えられていきます。

 最盛期には(BC4世紀頃)様々な治療施設が建てられ、ギリシア各地から人々が治療を受けに集まってきたそうですが、今遺跡内に残るのは神殿や円形劇場などだけです。

 エジプト のページで触れておりますが、トルコの ベルガマのにあるアスクレピオンの医療所は、BC4年頃、ここエピダウロスから医師を招いて始まったとされています。  1997年1月に訪れたカンボジアの アンコール・ワット。 そこにも蛇を治癒への期待を持たせるものとして崇めたという治療施設「ニャック・ポワン」が残り、思わずこの遺跡を連想し不思議な感慨にうたれました。

エピダウロスの円形劇場

エピダウロスの円形劇場

 14,000人を収容したというこの劇場、「舞台で落としたコインの音が上段まではっきり聞こえる」ほど音響効果が良いそうです。モチロンこの日も何人かの観光客が、上へ行ったり下に降りたりして効果のほどを試していました。

 毎年夏(6月から9月上旬)にはギリシア古典劇を上演するエピダウロス・フェスティバルが催されることでも有名で、期間中にはアテネからの観劇ツアーもでています。



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オリンピア

 初期のポリス国家では各ポリスが神(守護神)を持っていました。この地は神々の王ゼウスが守っていた土地。ここでゼウスに捧げるために行なわれていた競技会が古代オリンピック。ポリス間の争いもこの期間中は"お休み"だったそうですから、当初から"平和の競技会"の性格は持っていたのですね。ちなみに皆さん良くご存知のギリシアの首都アテネの守護神は女神アテナです。

ヘラの神殿
 広い遺跡内には、体育館、闘技練習場、オリンピック競技の期間中生け贄の獣が絶えなかったというゼウス神殿などが点在しています。

 時々木陰で休みながらハイキング気分で見て回りましたが、もう少し近くでとうっかり柵内に入ったりすると、どこからともなく「ピ・ピ・ピー!」と笛の音。

 キョロキョロと見回すと、いましたいました。観光客が木陰で休んでいるとばっかり思っていましたが、あの人もこの人も遺跡の監視人だったのです。


 近代オリンピックの聖火はヘラの神殿(この写真)前で採火され、世界各地の会場へとリレーされていきます。1997年12月、長野からこの地へNAOCのメンバーが採火のため訪れました。そう、長野オリンピックの聖火です。国内の聖火リレーはご覧になりましたか?あの火はここから運ばれたもの、何か不思議な気がしますね。この人類の"平和の祭典"が二度と戦火で途絶えることがありませんように。


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スパルタ

 スパルタと聞くとまずどなたもが連想するのが"スパルタ教育"という言葉だと思います。昨年も1度訪れてはいたのですが、遺構もほとんどない夏草が茂るだけの丘に写真も撮らずに引き上げてしまいました。今回はそのイメージを捜しに、隣のミストラと抱き合わせでの再訪です。

レオニダス像
 スパルタ遺跡の入り口に建つのはスパルタ王レオニダスの像。

 BC480年、彼の率いるスパルタ軍とペルシアの大軍との攻防戦(第2次ペルシア戦争)ではペルシア軍の勝利に終わり、レオニダスは首をはねられた上に磔にまでされたそうですが、その後のサラミスの海戦でギリシアはペルシア軍を撃退することになります。

 彼の視線は東に向けられていました。睨んでいるのは戦いのあったテルモピレス(ギリシア中部、ラミアの南14キロ)の方角でしょうか、それともペルシア?


 この像以外には、写真に撮ってイメージをお伝え出来るようなものはほとんどありません。博物館に行っても、ギリシア全土に名をはせた国とは思えないほど展示品が少ない。この国が、学問や芸術を軽蔑し、体を鍛え強い戦士になることだけを国民に奨励した国家だったのだ、ということを何も残っていないポリス跡は雄弁に物語っているようでした。

 「スパルタが崩壊し無人の野と化してしまったら、後世の人々はここに栄光に包まれた国家があったことなど到底信じてはくれないだろう」とはこれを憂えたある歴史家の言葉です。



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ミストラ

 歴史から取り残された中世の"ビザンティンの廃虚"ミストラ。スパルタから6キロほどのこの町に、教会や砦となってスパルタの遺構が使用(再利用?)されているとか。1日10本ほど出ているバスを終点で降りると、かなりの急角度で山が迫ってきます。斜面には教会が点在、「エー、あそこまで登るの」という頂上には砦らしきものが見て取れます。遺跡巡りは何しろ歩かされますが、今日は特にハードな山登りの1日になりそう。

聖ニコラオス教会
 入り口を入ると道は左右に分かれますが、どちらを選んでも頂上の城塞跡に向かっていますからお好きな道を選んで下さい。私は博物館のある右の道を選びましたが、月曜日でもないのに(正確には土曜日でした)お休みでガッカリ。

 ギリシアでは良くあることですが、一体どういう基準で閉館にしてしまうのか、不思議。


 町の中間地点には王宮跡があるのですが、世界文化遺産に指定された影響でしょうか、ここでも修復工事の真っ最中。で、その近くにある聖ニコラオス教会で一休み。ここまで登ると視界も開けてきますので休憩には最適です。



タイゲトスの谷

虚弱児を投げ捨てた"タイゲトスの谷"

 山頂には城塞跡が残っていますが、是非のぞいてきていただきたいのは、町とは反対側に口を開けているこの深い谷。スパルタでは生まれた赤ん坊の体が弱いと「国家の利益にならない」という理由でここに投げ捨てたと言われています。時代や国が違えば文化や価値基準も異なるのは当然ですが・・・。この手の話は辛くてコメントのしようもありません。


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ナフプリオン

 パラミディの要塞に守られた美しい港町ナフプリオン。ここに1821年のギリシア独立戦争勃発後、対トルコ戦の拠点としてギリシアの首都が置かれていたというのですから驚きました。

ナフプリオンの海
 1834年に都がアテネに移されるまでこの小さな港町は活気に溢れていたそうですが、今はのどかなリゾート地といった風情です。

 海に張り出したような城跡に登ると眼下には小島が浮かぶ美しい入り江を見ることができます。この小島、19世紀には死刑執行人の隠居所だったんですって。


 クセニア・ホテル下の海岸には海水浴場もありますし、博物館など町歩きも楽しい。この町に宿を取ってミケーネやエピダウルスを日帰り観光してはいかが?


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カイアファス温泉

 ペロポネソス半島の地図を開くとオリンピアの近くに温泉マーク。温泉マークと言っても日本のそれとは異なり、ギリシアでは古代の手つき壷の形をしています。温泉好きの私です、マークを見ると即座に「この温泉に入っていこう」と決めました。

  それが Kaiafas:カイファス温泉。道路標識に従って右へと道を折れ走ることしばし、エメラルド・グリーンの水をたたえる泉の横の広場に出ました。岩山に食い込むように建てられた建物は一種異様な感じでしたが、思い切って入って行くと内部は病院のような雰囲気。看護婦さんのような白衣姿の女性達がにこやかに応対をしてくれました。

カイアファス温泉
 料金を払い水着に着替えて長い廊下を歩いていくと、突き当たりは予想以上に大きい洞窟風呂が二つ。薄暗い裸電球に照らされた内部は、人の手が殆ど加えられず壁も床もゴツゴツとした岩肌そのままです。

 その中で体温に近いぬるめのお湯に浸かっていると、まるでそこは(記憶にはありませんが)母の胎内。一人で入っていると自然に対する畏怖すら感じました。


 近くのホテルに泊まっての長期療養の方が多いようですが、日帰り入浴も500ドラクマ(約200円)で出来ますので、行ってみたいと思われる方、水着を忘れないで持っていって下さいね。


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