日本国旗

弥生の王国

日本海沿いの縄文〜弥生遺跡


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加茂岩倉遺跡

 「どの道を通って松江に出ようか」と思案中、54号線沿いに加茂岩倉遺跡、その数キロ左に荒神谷遺跡の名を見つけました。松江は「東!」なのですが、両遺跡はその反対方向。時間的にギリギリでしたが、「場所だけでも」見ておきたいと寄って見ることにしました。

加茂岩倉遺跡

「現地は埋め戻されて、行っても何もありませんよ」と言われていた通り

 「車両進入禁止」の標識から遺跡までは約400m。林道を抜けると、正面にはクレーン車やユンボなど重機が並び、右手には空に向かって階段が伸びています。この急階段を上りきった所で作業していた人たちに、「遺跡は?」と聞いてみますと「ここで−す」とVサイン。



「出雲風土記」に「神御財(みたから)積み置き給ひしところ」と記されたのはここ!?

復元銅鐸

復元された35号銅鐸
銅鐸(どうたく) : 『弥生人が祈りの場で使った祭器で、内側に棒が下がり鳴るようになっている。音を立て神を招くための"かね"と考えられている。銅とスズの合金(青銅製)で、スズ分が少ないと金色になる。』。

 "神を招く"、"神の依代(よりしろ)"などと言う記述を読むと、茅野の神長官守矢資料館に伝わる鉄鐸をつい連想してしまいます。

 発見現場に立つのはここが始めてでしたが、稲作と関連があるとされる銅鐸が人目をはばかるようなこんな山奥に埋められていたのは何故でしょう。

 「どう使われ、どんな理由で埋められたのか」など謎が多い銅鐸ですが、この遺跡の発見でその謎が解明される日が近づいたかもしれません。


加茂岩倉遺跡 : 『1996年10月14日、加茂町岩倉の農道工事現場で39個の銅鐸(どうたく)が発見された。一つの遺跡からの出土数としては全国最多。紀元前2世紀〜紀元後1世紀に作られ、埋められたのは弥生末期(紀元1〜2世紀)と推定されている』。



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荒神谷遺跡

 加茂岩倉から54号線に戻って北上することしばし、「荒神谷」の立派な標識が見えたので左折しました。「場所がわかりにくいから」9号線まで出た方が良い、言われていたのですが、こちらはかなり整備が進んでいるようです。"出雲ロマン街道"と名づけられたこの道を5キロほど走ったでしょうか、大きな池(西谷池)を挟んで古代村と交流の広場が広がる"荒神谷 史跡公園"に到着しました。

荒神谷遺跡

展望台からの遺跡全景 : 向かって左が銅剣、右が銅鐸と銅矛



荒神谷遺跡 : 1984年夏、荒神谷の斜面から、全国の総発見数を上回る358本の銅剣を発掘。翌1985年には、銅剣出土現場から7m離れたところで、銅鐸と銅矛が同時に出土。銅鐸と銅矛の同時出土は、「"銅鐸"は近畿、"銅剣・銅矛"は九州」と言う、従来の学説("弥生時代の青銅器二大分布圏")を覆す大発見となった。

 1987年に国指定史跡となり、1998年には銅剣・銅矛・銅鐸が国宝に指定された。


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銅剣と銅矛(どうほこ)

銅剣(どうけん) : 弥生時代末期、実用の武器として大陸から伝わった。両刃で根元に短い茎(なかご)があり柄をつけるようになっている。荒神谷では尾根筋に平行して4列(西側から、34本、111本、120本、93本)、刃を立てた状態で埋められていた。

銅剣

全国最多の、358本の銅剣
銅鐸

6個の銅鐸と16本の銅矛

銅矛(どうほこ) : 根元が袋状になっており、ここに柄をさして武器として使用されていた。当初50cmほどだったものが、次第に大型化。発見された銅矛は最長80cm、刃も研がれていないため祭器と考えられている。6個の銅鐸の高さは、23cmと小型(加茂岩倉では30〜50cm)。



 駐車場(古代村のある南駐車場)に車を入れ、池のほとりを歩いて行くと、北駐車場に苦手な団体客が見え、帰りは人を避けて車に直行してしまいました。後で(帰宅してから)わかったのですが、団体がいた交流広場に建っていたのが"出雲の原郷館"。ここで発掘当時のビデオや写真が見られたのに、「見落とすなんて!」と悔やんでみても後の祭り。加茂岩倉が整備されたころまた来ることにいたしましょう。



開館時間 : 公園は 09:00〜18:00
出雲の原郷館は 09:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 : 年中無休

入館料 : 無料 

TEL : 0853-72-9044
住所 : 島根県斐川町大字神庭873−8


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玉作り資料館

 「玉作りと言うからには・・・」と、ここでヒスイに会えるのを楽しみに来ましたのに、「無い?」。 「玉 = 勾玉 = ヒスイ、と思っていましたが」と質問してみると、「玉とは装飾品全般を指す言葉」とのこと。また、玉加工技術を通して「時代(縄文と弥生)や地域(出雲と越の国)を超えた繋がりがある」と考えてましたが、どうやらこれも違うらしいのです。

緑にこだわった古代人 : 「ここで加工されていたのは地元で取れる石材だけです。弥生人は緑の石が好きだったので、花仙山の碧玉をみつけてこの地に住み着いたのでしょう」。出雲製の玉が他の地域で見つかることはあっても、ヒスイ製品の出土はないのだとか。この地で管玉などを加工していた弥生人は、縄文の玉作り職人とは異なる文化集団だったようです。



工房再現

花仙山(玉作山) : 資料館の正面が、出雲風土記に「玉作山」とある標高200mの花仙山。約1500万年前に安山岩の溶岩が固まって出来た山で、中に碧玉やメノウが脈状に存在する。特に深緑の碧玉は国内最高の品質で、出雲石とも呼ばれて現在でも玉作りの材料として用いられている。

砥石

筋砥石と未成品
玉作り

玉作り工房再現模型

玉

大陸渡来の玉加工法
勾玉

縄文時代からの勾玉技法
管玉

渡来の技法で作られた管玉



開館時間 : 09:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 : 毎週月曜・祝日の翌日・年末年始(12月28日〜1月4日)

入館料 : 大人200円 高大生100円 小・中学生30円 

TEL : 0852-62-1040
住所 : 島根県八束郡玉湯町大字玉造99−3



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八雲立つ風土記の丘資料館

 出雲地方に多い、"前方後方墳"の形をした資料館。三角縁神獣鏡や「額田部臣」銘文入りの太刀など、周辺の古墳から出土した重要文化財の並ぶ展示品の中で、思わず足を止めたのは平所遺跡出土の埴輪群。何かを訴えるような馬達の、アーモンド型の大きな目。それにもまして魅力的な、見返りポーズの鹿の愛らしさ。彼らは焼成中の窯跡から掘り出されたんだそうです。

資料館入場券

"見返りの鹿"埴輪

前方後方墳 : 従来古墳は、円形墳・前方後円墳・方形墳の3つに分類されていた。前方後円墳は、『天子の車をかたどり』と言われるように、牛馬が牽く前の部分を前方、天子が乗る車の部分を後円部に例えて命名されている。前方後方墳は、後ろの円の部分が四角いので、前方後方墳と呼ばれるようになったものである。
 − 資料館発行「2000年企画展」より抜粋 −



 風土記の丘周辺には、
  • 出雲国分寺跡に国府跡
  • 山代二子塚:山陰地方最大の後期古墳
  • 神魂神社:イザナギの命を祀る。日本最古(1583年)の大社造りの本殿
  • 八重垣神社:稲田姫命を祀る。天照大神などを描いた障壁画は有名。
 など「出雲風土記」の世界が点在しています。今回は資料館のみの見学でしたが、次回訪問のチャンスがあれば、風土記のを拠点に付近の史跡巡りもしたいものです。



開館時間 : 09:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 : 毎週月曜・年末年始・特別展前後臨時休館(電話にて確認願います)

入館料 : 大人200円 高大生100円 小・中学生50円 

TEL : 0852-23-2485
住所 : 島根県松江市大庭町456


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