日本国旗

弥生の王国

日本海沿いの縄文〜弥生遺跡


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妻木晩田遺跡

 天の真名井見学後、元きた道を引き返し民俗資料館の前を通って裏手の丘陵へと登りますと、5分ほどで妻木晩田遺跡展示室の前に出ます。

 ここは、日本海に突き出した(当時、海はもっと迫っていた)標高90〜150mの丘陵上に営まれていた、今から2000年〜700年前の集落跡。住居群・倉庫群・墳墓群・工房跡に戦いに備えた防衛空間等など。機能分化されたムラ全てが発掘されるのは初めてのことで、これで弥生時代の村の全容がうかがえると期待されている場所です。

ジオマップ

今後の調査でこの弥生の王国、どんな姿を私たちに見せてくれるのでしょうか。

 2000年11月現在、資料展示室、洞ノ原地区の墳丘墓群防衛エリアの環濠・物見やぐら跡、妻木山地区の住居跡、などが見学できます。



開発から保存へ : ゴルフ場開発に伴い、1995年〜1998年にかけて行われた発掘調査で、吉野ヶ里をしのぐ日本最大級の弥生時代の集落跡と判明。"開発か保存か"で議論が紛糾し、全国紙に「残す道を考えたい」と記事まで出された当遺跡。 多くの人々の努力と鳥取県の英断で、1999年4月に保存が決定、同12月には国史跡に指定されたのは、考古学ファンならずとも喜ばしいことでした。

お断り : 以下、当サイト(妻木晩田遺跡のページ)の解説文は、"特別展 弥生の王国"、展示室でいただいた資料、などを参考に構成いたしました。



開館時間 : 09:00〜16:00

土日祭日には10:30と13:30の2回、約1時間のガイドツァーがあります。
団体の場合もガイドできるそうです(要連絡)

入館料 : 無料
 

TEL : 0859-37-4000
住所 : 鳥取県西伯郡大山町妻木1115−4



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墳墓群(洞ノ原地区)


四隅突出型墳丘墓

四隅突出型墳丘墓
 四角形の四隅が突出した独特の形をした古墳で、王の墓と考えられる。出雲地域を中心として山陰地方に多く見られ、洞ノ原地区では34基の墳墓が見つかっている。

 約100年にわたって築かれているため(1世紀前半〜2世紀後半)、四角墓から次第に四隅が大きく張り出して、"四隅突出型墳丘墓"へと移り変わっていく様子が良くわかる。



 突出した部分は「墳丘に上がるための通路」らしいのですが、この形なんとなく"ヒトデ"に似ていませんか?



権力の継承

四隅突出型墳丘墓

洞ノ原墳墓群 : 1,000\x87uの範囲に大小25基の墳墓が見つかった
一辺が1〜2mの小さな墳丘墓は、王位を継承するはずだった幼児の墓と考えられている

この道をたどると視界が開け、日本海を見下ろす環濠砦に出ます。



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防衛エリア(環濠砦)

環濠砦

環濠砦での戦闘場面
倭国乱れる

 親子が談笑しながら稲刈りをする、教科書の挿絵の影響があるのか、 「列島に稲作が広がった弥生時代は、牧歌的で平和な時代」と思い込んでいました。



 でも実際は、大陸から稲作と同時にもたらされた、新兵器でもある金属製の武器を携えて、他の集団の富を奪い合う、

弥生時代とは戦いが始まった時代

だと、ここに来ると体感できます。



 ここまで歩いてくる間に風雨は強まり、日本海から吹き上げてくる強風で傘もさせない状況になっていました。晴れていれば島根半島まで見渡せるそうですが、この日はやっと海岸線が確認できる程度。その向かい風のせいもあってか、知らぬ間に戦の最前線に立たされてしまったかのような、そんな胸のざわめきを感じました。妻木晩田の人々の敵は、きっとこの海を渡って攻めて来たんですね。

環濠砦

 (教科書が子供に与える影響は、想像以上に大きいものです。今、歴史教科書が問題になっていますが、単に時刻の優越性だけを強調するのではなく、ドイツが決断したように、近隣諸国と一緒に歴史を考える取り組みが、日本にも必要な時期に来ているのではないでしょうか。しっかり舵取りしてね、小泉さん!)


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帰り道

中央道で見た朝日

仮眠をしながら夜通し走り、朝日を見たのは中央道に入ってから

7泊8日の走行距離1414キロ、費用は108,022円でした



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