|
|
弥生の王国若狭・伯耆・出雲の縄文〜弥生遺跡 |
|
2000年11月11日午前4時 : まだ夜もあけやらぬ大町を出発、148号線を北上して糸魚川に出、北陸道に入って最初の休憩所、境パーキングで一休みしました。
権力者の必需品(?)、縄文時代のヒスイの装飾品。その工房跡が富山にあると知り、この周辺を訪ね歩いたのは昨年のこと。その時、「遺跡は境パーキングの下」と聞き、いつか寄ってみようと思っていた場所でした。
縄文時代の勾玉の工房跡、"境A遺跡"は、この下に眠っています 周辺にある浜山遺跡などは「ヒスイ編」をご覧下さい。 |
前期縄文の"漆塗り櫛"と、初めて現代人の目に触れた縄文の"縄"。それらが発掘された鳥浜貝塚が本日の目的地。遺跡自体は『調査終了後(河川改修工事で)海中に没し、現地には石碑のみ』とガイドブックに記してあったので、ここでは貝塚の写真だけ撮るつもりでした。ところが付近まで来ると、"三方町縄文博物館"の文字が鳥浜貝塚への標識の隣に輝いているではないですか!
"縄"をモチーフにしたモニュメントがある、"お祭り広場" 「もしや新しい施設が?」とワクワクしながら三方の信号を右折、5分ほど走ると湖に面した広々とした公園、"縄文ロマンパーク"に出ました。 復元住居がある"縄文広場"、"お祭り広場"、"野外ステージ"などが並ぶ公園の、メインとなる施設が"三方町縄文博物館"でした。予想もしていなかったので、とっても得した気分です。 |
|
ごあいさつ : 縄文文化は日本文化の基礎であり、人類の還るべき文化は縄文にあるのではないかと考えています。 森(自然環境)が破壊され、人類の未来が危惧される今日、縄文の持つ共生と循環の世界観が改めて認識される必要があるのではないでしょうか。
"三方町縄文博物館「DOKIDOKI館」"は、地球を破壊しつつある現代文明へのメッセージとして、縄文の光を世界へ届けたいと思っています。 − 初代館長 梅原 猛 −
小山のようなユニークな外観 : 三方町縄文博物館「DOKIDOKI館」
丸木舟 : 最初に目を奪われたのは、ガラスの床の下の丸木舟。
三方町周辺の遺跡からは、縄文前期(6300年前)〜晩期(2800年前)の、計6艘の丸木舟の出土しているそうです。長さ5mほどのこの船は、漁だけではなく交易にも使われたと、解説文では大陸との交流にも触れていましたが、実物(丸木舟)を目の前にすると説得力ありますよね。
縄文時代には武器がない : ここには武器の展示はありません。「植物採取や狩猟のための道具はあっても、人を殺すための武器はなかった」からです。その暮らしが1万年以上も続いたなんて、他の国では考えられないことでしょう。『世界に誇るべき高度な文明』ですよ、縄文時代は。
この博物館は、命を生み出す女性や自然が崇拝の対象であった時代、私がテーマとしている"女神(地母神)の時代"をクローズアップしてくれていて、考えがピッタリ一致。確かに、『原始女性は太陽だった』んですよ。展示品も厳選して並べられていて、見学していて心地よさを感じました。21世紀には、こういった主張のある施設が、各地に増えてくれると良いですね。
休館日 : 12月28日〜1月4日 入館料 : 大人500円 小・中・高校生200円 TEL : 0770-45-2270 福井県三方郡三方町鳥浜122−12−1 http://www.mitene.or.jp/~mikata |
| 縄文の"タイムカプセル" : 縄文時代、三方湖に面した場所に人々は集落を構え、水辺には彼らが捨てた生活のゴミが堆積して貝塚が形成された。海抜0mという低湿地であったため、遺物は分解されず奇跡的に今日まで残された。それが(他では発見されていなかった"縄"が発見されるなど)、この遺跡が『縄文の"タイムカプセル"』と呼ばれる所以である。 |
マスコットの"縄文太郎"君 |
鳥浜貝塚記念碑 昭和37年から4半世紀、10次にわたって行われた発掘調査。貝塚跡に建つ石碑には 『出土遺物は20数万点に及び、本邦最古の丸木舟・漆の塗櫛・真珠・衣料などその中にあり。今第10次の調査を終わるに当たり此の碑を建てて記念となす』 とありました。 |
「弥生の王国」に戻る |
「日本編」に戻る |
「海外編」に戻る |