日本の国旗

花巻(宮沢賢治)



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花巻 新渡戸記念館

 新渡戸を "にとべ"と読めなかった方、1984年にお札のデザインが一新された時「福沢諭吉と夏目漱石はわかるけれど、新渡戸稲造とは誰だ?」と思われた方(実は私もそうですが)の為にあるような記念館です。


「願わくは われ太平洋の橋とならん」

 国際連盟の事務次長として、またユネスコの前身である知的協力国際委員会の世話役として世界平和の為に尽力した稲造。

 軍国主義へとむかう当時の日本では正当に評価されず、その名も業績も埋もれていたというのが新札発行時に彼を知る人が少なかった理由のようです。

新渡戸記念館
 ただ、この記念館は彼の先祖がこの地域の開発に尽くした事を中心に紹介していますので、新渡戸稲造個人の記念館と思ってきた私はちょっと拍子抜けしてしまいました。



花巻新渡戸記念館 (0198-31-2120)

開館時間:9:00〜16:30
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
資料整理日(9月9日〜9月15日)
年末年始(12月28日〜1月4日)
入館料:一般 200円 小・中・高生 100円
交通:東北新幹線 花巻駅から 3km 車で5分
東北自動車道 花巻南I.C.から 7km 車で15分


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羅須知人協会(賢治の家)

 朝方は陽が射していたのに、羅須地人協会へ向かう頃には激しい雨になっていました。「羅須地人協会」という標識を頼りに裏道を走って「きっともうすぐ」と次の標識の出現を心待ちにしていましたのに「ない!」。 あるのはただ「賢治先生の家」。

 賢治ファンなら「賢治先生の家」というのが「羅須地人協会」の事で、花巻農業高校の中にあるというのは自明の理でしょうが、無知な私はまさか高校の中にあるなんて思ってもいない。それで「なんで羅須地人協会がないの!」とパニックになった次第です。




 それにしてもこの家の辿った道は不思議です。賢治の死後まもなく(昭和11年)売却され取り払われたこの建物が、再びスポットライトを浴びるのは昭和39年。

羅須知人協会(賢治の家)

 彼が教鞭をとっていた花巻農業高校(当時は郡立稗貫農学校)が移転の為の用地買収をした時、偶然というよりまるで賢治の意思であるかのようにこの家が用地の中にあったということです。隣接した花巻空港の拡張工事に伴い昭和53年に現在地に移転、周辺を整えられた「羅須地人協会」は生徒達に大切に手入れされてやっと安住の地を見出したかのように穏やかな表情を見せています。


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教室

 高校の受け付けでこの家の鍵をお借りする頃には雷まで鳴り出して来ました。急ぐ旅でもないし人もいない。賢治の家でしばしの雨宿りです。

賢治の家内部

 ここは教室、八畳ほどの板の間で簡素だけれど居心地が良い。当時のまま保存されているという中央に置かれた火鉢とそれを囲む木の椅子がとても印象的な部屋でした。 この部屋にも廊下にもオルガンが置いてあり音楽好きだった生前の賢治を偲ばせてくれます。


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賢治の黒板


賢治の黒板
 有名な「下ノ畑ニ居リマス」の黒板は、この教室の外壁にかけられています。

 これは賢治の筆跡そのもの。薄くなると、誰かが丁寧になぞって現在に至っていると聞きました。

 でも移転先の現在地は平坦で、「"下"とはどこ?」と思ってしまいます。

 そんな方は桜地人館裏手のあの高台(光太郎揮毫の「雨ニモ負ケズ」の詩碑あり)に立ってみて下さい。


 北上川に向かって広がる畑を見下ろしていると、賢治が今もそこで耕作しているよう。「オーイ」と呼べば顔を上げて答えてくれそうな、そんな気持ちにさせられる場所なのです。


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「ぎんどろ公園」


巻農業高校の跡地は現在文化会館になっていて、
その向かいには賢治を記念して「ぎんどろ公園」がつくられています。

風の又三郎群像

風の又三郎群像

 「ぎんどろ」(銀白楊)は賢治の大好きだった木だとか。その木が植えられ小川も流れる公園には親子連れが多く、公園の中央に立つ「又三郎」達も心なしかうれしそうに見えました。


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