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トコロ遺跡

 常呂町でトコロ遺跡への道を尋ねると逆に、「遺跡のどこに行きたいの?」と聞かれ返事に窮してしまいました。「展示館のある場所」と聞きなおし、"トコロ遺跡の森"にやってきました。ここで初めてトコロ遺跡が、常呂川河口からサロマ湖まで、広範囲に点在する遺跡群の総称だと言う事を知りました。縄文時代から続縄文を経て擦文文化の時代まで、数千年の人々の暮らしが眠っているのだそうです。

トコロ遺跡

竪穴住居をイメージした"トコロ遺跡の館" : 遺跡の森の入り口にあります

トコロ遺跡の森 : カシワ・ナラを主体とした広大な森林の中に、縄文文化(約4,000年前)、続縄文文化(約1,800年前)、擦文文化(約1,000年前)の住居跡が約138軒あります。立地は各文化により大きく異なり、擦文文化の住居は台地の西側の小沢の周辺に多く、続縄文文化は台地の北側、縄文文化は台地の北から東側にかけて広く分布しています。

 一遺跡の中で各文化の住居立地が異なっているのは珍しく、平成2年に史跡として追加指定を受けました。 森の中には、擦文4棟、続縄文1棟、縄文1棟の復元住居の他、屋根のない露出住居も各1基建設しています。各文化により住居の形、内部構造が変化している点を留意してご覧下さい。 (案内による)



 3つの村を見て回ると約60分かかるそうで、日没間近の薄暗い森の中に一人で入っていく気にはなれず、止む無くパス。その代わり敷地内にある2つの資料館、復元作業などが見学できる収蔵施設の"ところ埋蔵文化財センター「どきどき」"と、東京大学の"常呂資料陳列館"の2館を見学してきました。どちらも入館は無料です。

展示室

各文化の遺物が並べられた展示室

住居模型やヒスイの勾玉もありました

続縄文文化 : 北海道では気候的条件から稲作ができず、縄文文化(狩猟・漁労・採取)が引き続き行われていたので"続"縄文と称している。本州の弥生・古墳・奈良時代に相当。

擦文文化 : その後、土器の模様が縄文から木ベラで擦った痕がある擦文土器に変わる。これは本州の土師器の影響を受けたもので、時代的には平安・鎌倉時代に相当する。

オホーツク文化 : 擦文文化とほぼ同じ頃、オホーツク海沿岸に登場した謎の海洋民族オホーツク人。400〜500年続いたこの文化もやがて擦文文化に吸収される。

アイヌ文化 : 擦文に続くのがアイヌ文化。土器を使用しないのは、本州との交易で鉄鍋などがもたらされた結果と考えられている。鎌倉・室町時代〜。


 今夜は"船長の家"に泊まるつもりでしたが満室とか。まさかその"船長の家"が"遺跡の森"のすぐ横とは!!! ここに泊まれていれば見学が楽だったのに、とちょっとガッカリしましたが、それはそれ。翌日、もしここに泊まっていたら見なかったかもしれない景色を堪能することになったのですから、きっとこれで良かったのでしょう。



開館時間 : 09:00〜17:00
休館日 : 月曜日、祝日の翌日、年末・年始(12月29日〜1月5日)

入館料 : 大人200円 中・高生100円 小学生50円

TEL : 0152-54-3393
住所 : 常呂町字栄浦371



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サロマ湖の夕陽

 "トコロ遺跡の森"はサロマ湖の東端に面しています。薄暗い森を抜けてきましたら、ちょうどサロマ湖に日が沈むところでした。他の観光客の皆さんと一緒に、しばし大自然のドラマの鑑賞です。

サロマ湖の夕陽

サロマ湖の夕陽



3日目 : 川湯温泉〜小清水原生花園〜網走〜能取湖〜サロマ湖温泉(泊)。走行距離は136km。


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サロマ湖展望台

 今日も快晴。宿で付近の見所を聞きましたら、裏手にあるサロマ湖展望台を薦めてくれました。それほど期待もしていなかったのですが、ここは本当に気持ちの良い場所でした。車だと15分ほどで(徒歩だと1時間)登れますので、時間に余裕のある方はこの景色をご自分の目で楽しんでいって下さい。

サロマ湖 サロマ湖 サロマ湖

376mの幌岩山山頂に建つ展望台 : サロマ湖の全景を望めるのはここだけとか

あまり長いので、中央の砂洲部分は少し省略してあります


 湖とオホーツク海を隔てる"竜宮街道"。水平線近くにうっすらと見えているの、判りますか? あちらにも展望台"竜宮台"があると知りこの後行ってみましたが、とてもとても、ここからの景色にはかないません、デシタ。

サロマ湖

中央右下にポツンと見えている点が幌岩山です


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白滝

 北海道で寄りたかった場所の一つがここ白滝。何故かって? ここは全国有数の黒曜石の産地だからです。「専門の資料館でもあるんではないか」と思って来て見ましたが、情報がないのでまずは役場に。出来たばかりの立派な庁舎に「もしやこの一角が資料館?」と期待したのですが違いました。特別な博物館はなく(郷土館に黒曜石コーナーがある)、露頭の見学も「山奥なので無理」と言われ、ちょっと肩透かしを食った気分です。

白滝郷土資料館

白滝町郷土資料館

 公民館のような郷土資料館の小部屋に、黒曜石は並べられていました。訪れる人もあまりいないのでしょうか、手書きの解説もかなり古ぼけたものでした。その一隅に札幌大学と記された、イラスト入りの年表が貼ってあり、「これ欲しい!」と連絡先と住所をメモしておきました。その首尾は? 札幌で!



黒曜石 : 噴出したマグマが急激に冷えて出来るガラス質の火山岩。打ち欠きが比較的容易で、しかも鋭利な縁辺ができることから、石器時代から貴重な石器の材料として利用されてきた。

 北海道には、白滝・置戸・十勝・赤井川と言う全国有数の黒曜石原産地がある。

黒曜石

左から、両面調整石器、掻器、石鏃(せきぞく)、細石刃(さいせきじん)

 全国的に見ますと、北海道の白滝、長野の霧が峰、佐賀の腰岳が産地としては有名で、腰岳産が韓国の遺跡で、白滝産がサハリンのソコル遺跡や青森の三内丸山遺跡で見つかったり、霧が峰産が三内丸山に運ばれていたり、と黒曜石を通して当時の交易ルート(北海道と大陸と本州を結ぶ)を知ることが出来るのです。

 こんなにも重要だった黒曜石。是非この地に専門の資料館を建てて欲しいものです。あの立派な役場の一角に作ってくれたら、良い町おこしになりますよ!



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北見峠

 白滝からしばらく走ると、333号線は峠道に差し掛かります。登りきった北見峠で、この慰霊碑の存在に気づきました。近寄って碑文を読むと、中央道路開削経過、とあります。文面が"北海道開拓の闇"と言うようなショッキングな内容だったので、皆さんにも知っておいていただきたいと思いました。以下、碑文の要約です。

慰霊碑

中央道路犠牲者の慰霊碑
中央道路開削経過 : 中央道路は網走に起こり、留辺蕊 野上を経てこの北見峠を越え、上川 愛別 旭川に至る全長225.402kmの殖民道路で、拓殖と北辺防衛上極めて重要とされて開削されました。

 この道路は網走から北見峠までの大半が、釧路から網走監獄に移された1,000余名の囚人を使役して開削されたものであり、明治24年春の着工以来わずか7ヶ月、同年11月にはこの網走から北見峠まで156キロの道路が完成と、その速さは驚異的なものでありました。

 従って作業内容は酷使につぐ酷使、不眠不休の労役が続けられ、特に惨を極めた野上(遠軽町)・北見峠の間は、過度の労役と病にたおれ死者180余名にも及び、死者は路傍に埋葬されましたが墓標は風雪に消え去り、今になっては埋葬場所はほとんど不明になりました。

 ここに殉難者慰霊の碑を建立し、この道路建設の礎となった囚徒の霊の安らかな眠りを念ずるものであります。


 一言に"囚人"と言っても、中には無実に近い人々も含まれていたと聞きます。「北海道の道路は車が少なくて快適」、としか思っていなかった道路でしたが、こんなにも多くの犠牲の上に敷かれていたんですね。ここに謹んで、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。



4日目 : サロマ湖温泉〜竜宮台〜白滝〜比布温泉(泊)。走行距離は195km。


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