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装飾古墳


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岩戸山古墳

 吉野ヶ里遺跡見学中に雨が降り出しました。明日の天気を気にかけながら今回の白眉、熊本県立装飾古墳館のある山鹿へと車を走らせます。八女市付近を通過中、「岩戸山古墳」という文字が眼に飛び込んでくると、反射的に車を右折させていました。指定された駐車場に車を置き、予想外に起伏のある史跡公園の道を岩戸山歴史資料館へと急ぎます。

別区

筑紫の君"磐井"の館跡か?方形に整備された「別区」

 月曜日だったので、案の定資料館は休館。岩戸山古墳を横目に、もと来た道を戻ります。と、眼前が急に開けました。そこは小学校の校庭ほどの芝生の広場。さっきも通ったはずなのに、先を急いでいたので気づかなかったようです。横の解説板には「別区:磐井の君が政治を行った場所」とあります。「磐井の君 ?」。



石人と石馬

 この広場の端、校舎から校庭の向こうに鉄棒を見るような位置に、何か並んでいるのが見えます。近づいてみると、それは石でできた武人と首のない馬。何の知識もないこの時でも、暮れなずむ別区に佇む彼らの姿から(レプリカとはいえ)、哀感が漂っているような気がしました。

石人
石馬


 この地方で豪族の墓(古墳)に、墓守として並べられていた石人と石馬。527年、大豪族"磐井"を破った継体天皇軍は、その石人・石馬を徹底的に打ち壊す。それ以後、石人が

 「豪族の墓に飾られることはなくなった」。


 翌日、 装飾古墳館の「生きていた石人」という立体映像で、"この事件が古墳内部に装飾がほどこされるきっかけ"にもなったと知ると、「だからあんなに寂しそうに見えたんだ」と合点がいきました。


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山鹿市立博物館

 翌朝は快晴。山鹿の 桜湯に入り、 灯籠館と八千代座を見ていたのでここに着いたのは10時過ぎ。そう広くない館内には、土器や経筒など、周辺の考古・歴史・民俗資料は展示されているものの、目指すチブサン古墳の(レプリカ)展示はありません。

山鹿市立博物館

 受付でチブサン古墳のことを尋ねると、時計を見ながら「10時の回は終了しました。 次回は2時になりますので、5分ほど前にここまで来ていて下さい」「エッ、古墳の内部を見せていただけるんですか ?」「ええ」。 装飾古墳は剥落を防ぐため完全に封印され、写真やレプリカでしかお目にかかれないと思っていましたが・・・。本当だったらうれしいな。



開館時間 : 9:00〜16:30
休館日 : 月曜日(祝日の場合その翌日)

入館料 : 大人200円 高校生以下50円

TEL : 0968−43−1145
所在地 : 熊本県山鹿市大字鍋田2085



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チブサン古墳

 2時前に博物館に戻り、受付で見学料100円也を支払って案内を待ちます。この回は博多のカップルと私の2組。待つことしばしで現れた学芸員氏、人数を見ると「先導しますから、自分の車で後をついてきて下さい」。

チブサン古墳

 ここも、岩戸山古墳地域と負けず劣らず起伏のある所。農道のような道を走り、最後に狭い急カーブを曲がると、"まゆ"のような形をした古墳の前にでました。石屋形の奥壁に描かれた文様が「女性の乳房」を連想させたところから、通称が"チブサン"古墳。それゆえ、古くから地元では「乳の神様」として、授乳期の女性から崇め(あがめ)られていたとか。



チブサン古墳奥壁

 重たい扉を開けてもらい密閉されていた闇の空間に入ると、独特な湿り気と匂いが全身を包みます。この匂いと湿り気、そして狭さを「知っている!」。そう、あれはユカタン半島" チチェン・イツァ遺跡"のククルカンのピラミッド。「あの時は暑かったな」と、順番待ちしながら心を メキシコへと遊ばせていました。

 中腰で前へ進み、90cm四方ほどの2重ガラス越しに、意外に鮮かな奥壁の壁画とご対面。外気との差でガラスが曇りがちになるのを、手動のワイパーで拭うしかけには感心しましたが、保存はこれで大丈夫なんでしょうか。学生時代にこの壁画を見に来たことがあるというカップルのお一人が、「以前は朱がもっと鮮かでしたが、気候の関係ですかね」と学芸員さんに聞いています。どうやら、「雨の量(つまり湿度)と関係する」とのこと。「フーン」。

チブサン古墳内部

 外に出て学芸員さんに「人が入ると傷むのではないですか」と問うと「できれば公開したくありませんが、市との関係もあって色々とね・・・」と言葉を濁されました。見せていただいてから言うのも勝手すぎますが、是非このままで(公開を制限しても)後世に残していただきたい、と思ってやみません。

 なお、当然ながら古墳内は撮影禁止。これは県立装飾古墳館にあるレプリカの写真です。




チブサン古墳のご案内

案内申し込み : 市立博物館窓口
案内期間 : 10:00と14:00に案内・説明
休日 : 月曜日(祝日の場合その翌日)

案内料 : 大人100円 高校生以下50円

TEL : 0968−43−1145
所在地 : 熊本県山鹿市大字鍋田2085



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オブサン古墳

 山鹿に来るまで「チブサン」と「オブサン」は同じ古墳の別称だと思っていました。

ところがドッコイ、違ったのですねこれが。

"チブサン古墳"が「乳の神様」ならこの"オブサン古墳"は「安産の神様」

オブサン古墳
 「何故?」と、学芸員さんに名前の由来とそのわけを尋ねると「行ってみればわかります」と、何故か意味シンなお答え。

 現場に行って「ハハーン」。

 全国的にも珍しい、と言う入り口から八の字に広がる突堤。このため古墳全体が「足を広げて寝ている女性」、つまり「出産時の様子」に見られ「安産の神様」になったようです。

 皆さんはこの写真を見て何を連想されますか?





オブサン古墳のご案内

チブサン古墳から徒歩10分ほどで、見学は自由

問い合わせ先 : 市立博物館

TEL : 0968−43−1145
所在地 : 熊本県山鹿市大字鍋田2085



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熊本県立装飾古墳館

 有名な装飾古墳の原寸大のレプリカが見られるという、古墳館は山鹿市内から車で10分ほど。駐車場(隣接して建てられているのは物産館)からは建物は見えず、来館者は、森の中につけられた遊歩道を登って行くことになります。これが、"現世から古代黄泉の国への旅立ち"をイメージした演出なのだとか。

熊本県立装飾古墳館

 森を抜けると、古墳館のメインシンボル、巨大な"チブサン石人"君が御出迎え。これでめでたく、「現代の"黄泉の国"に着いた」と思いきや、こちら側(現世 ?)はコンクリートの壁だけ。建物を半周して反対側に出、まいまいず(かたつむり)井戸のように、曲線を描いたスロープを一回り、やっと入り口に到達です。黄泉の国に入るのも中々体力がいります。足の不自由な方やお年寄りなど、どうするのかな ?



装飾古墳とは

 常設展示図録より : 古墳内部の石室や石棺、又は横穴墓の壁面に彩色や彫刻で文様を施した物。5世紀に始まり、6世紀〜7世紀にかけて九州北部を中心に広がりました。全国484例の内、186例が熊本県にあり、特に菊地川流域には122例と集中分布が見られます。

 地階には12基の古墳石室の原寸大レプリカ、出土遺物、検索システム、マジックビジョンを備えた「装飾古墳室」と、「展示では表現できないもの、理解しにくいものを映像を使って歴史への興味を高める」目的のイマジネーション・ホールがありました。


装飾古墳室

"装飾古墳室":石棺と井寺古墳
 見学者が私一人だったので上映ホールに入るのをためらいましたが、始まるとだんだん引き込まれていきました。その立体映像「生きていた石人」を、私説も交え以下に要約してみます。


 「石人と石馬はこの地方の大豪族"磐井"と深く結びついた文化。加工しやすい阿蘇の凝灰岩が入手できるこの地方では、古墳の周囲には石人が墓守として並べられた。

 527年、継体天皇の勢力と戦って"磐井"は破れる。天皇軍は墓守の石人・石馬を打ち壊し、それ以後この地域で石人が豪族の墓に飾られることはなく、魔よけの文様・人・馬などは古墳内部に施されるようになった」。


 これを繋ぎ合わせると、図録の「6世紀〜7世紀にかけて九州北部を中心に広がった」という記述が生きてきます。装飾古墳が、"磐井の君"勢力の滅亡と関連がありそうだ、と実感できただけでも「ここに来て良かった」



岩原古墳群

古墳館アプローチより岩原古墳群を見る



開館時間 : 9:30〜17:00(入館16:30まで)
休館日 : 月曜日(祝日の場合その翌日)・年末年始

入館料 : 大人410円 大学生250 (高校生以下は無料)

TEL : 0968-36-2151
所在地 : 熊本県鹿本郡鹿央町岩原3085



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