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沖縄 |
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とんとお目にかかりませんが、あの2000円札はどこへ行ったのでしょう?
守礼門 : 16世紀創建当時は"待賢門(たいけんもん)"と呼ばれ、「首里」と書かれた額を掲げていた。新王の認証状を持参する中国皇帝の使節団、"冊封使(さっぷうし)"を迎えるときだけ、「守礼之邦」額とかけ替えていたが、「礼を守る邦」を冊封使に印象付けるよう、1664年からは常時掲げるようになった。なお、「しゅれいのもん」と呼ぶのは間違いで、"守礼門"は「しゅれいもん」と読みます。 |
首里城への飾り門"守礼門(しゅれいもん)"から城内へは、幾つもの門をくぐって行きます。首里城の第一正門は、アーチ形の石門の上に木造のやぐらがのっている"歓会門"。 次いで、カーブした石段が美しい"瑞泉門"。その向こう見えているのが"漏刻(ろうこく)門"です。王府の高官でもこの門でカゴを下りたことから、別名「かご居(い)せ御門(うじょう)」。
瑞泉門と漏刻門 |
| 漏刻とは、中国語で水時計と言う意味。この門の上に水時計、門を過ぎた広場には日時計があって、その2つで時刻をはかり、太鼓をたたいて時を知らせていたのだとか。本土では、671年に天智天皇が近江大津の宮に漏刻を設置し、日本初の時を告げています。 |
首里森(すいむい)御嶽(うたき) |
守礼門から、日影台や万国津梁の鐘のある広場までは無料。券売所にもなっている広福門からが有料区域で、最初に出るのが御嶽(うたき)がある下之御庭(うなー)です。
首里森(すいむい)とは首里城の別称で、御嶽(うたき)とは聖地または拝所のこと。 琉球の神話では、この御嶽は神が創ったことになっていて、城内で最も格式が高く、国王が城外に出るときは、この御嶽で祈りを捧げてから出かけたそうです。 |
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正殿は国王が政治や儀式を行った建物。1429年以来、4回の火災にあって焼失しているが、最後はご存知1945年の沖縄戦。復元のモデルとなったのは、1712年頃に再建された正殿です。世界遺産に登録されたのはこの再建された正殿ではなく、「首里城跡」を含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」ですのでお間違いなく。
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正面には一対(あうん)の大龍柱がある、復元された首里城正殿 |
| 御庭(うなー)とは、式典や儀式が行われた広場のことで、一面に磚(せん)と言うタイルが敷かれている。この色違いの敷石は、役人が位の順に並ぶときの目印で、中央の道は王や冊封使などのみ通ることができた。 |
入館料 : 大人800円 高校生600円 小中学生300円
TEL : 098-886-2020
住所 : 那覇市首里金城町1−2
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正殿の拝観を終えかつての接待所"北殿"に入ると、そこは展示・映像・売店・休憩のコーナーになっています。沖縄戦で壊滅的ダメージを受けた首里城が、見事復元されるまでの記録映像必見です。
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赤い冠(帽子)の門番さん |
冠に見る役人のランク分け |
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琉球王府では、摂政・三司官などの首脳部の下に様々な名称の役所が置かれ、役人達は、王子・王弟などが被る浮織り冠から、位階にのぼる前の役人の青冠まで、帽子の色でランク分けされてたそうです。
現首里城内でも、当時の服装をした方々が働いていますが、門番役の人と正殿詰めの人では、確かに冠の種類が違っていました。皆さんも注意して見て来て下さいね。 |
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1501年に建立された王家の陵墓。王(族)が亡くなると中央の部屋に安置し、やがて骨だけになるときれいに洗って、王と王妃は東室に、その他の王族は西の部屋に葬られた。1945年の沖縄戦で破壊され、3年の歳月をかけ往時の姿を取り戻した。
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北向きのため、左から東室、中室、西室になります |
観覧料 : 大人200円 小人100円
TEL : 098-885-2861
入園料 : 大人300円 小人100円
TEL : 098-855-5936
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