日本国旗

御柱祭


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冬の花火

 1998年冬、冬期オリンピックの会場になった長野北部では雪不足気味だったようですが、山小屋のある中部諏訪地方は村の古老が「こんなに降ったのは記憶にない」というほどの大雪。例年ですと3月末には取り付け道路が現れるのですが、今年は1m以上ある固い雪の下でした。

 車が途中までしか入れず、食料からパソコンまで一切合切を背負って入った山小屋でしたが、1月の水抜きが充分でなかったらしく「水道管破裂!」しておりガックリきてしまいました。その衝撃を慰めてくれたのが、車山方面に上がった花火。それにしましても一体これ「何の花火?」。

冬の花火

1998年3月末、白樺湖に上がった時ならぬ花火


 5月の連休直前になってやっと水道屋さんに来てもらえましたが、2時間かかった修理の間、話は総て「御柱祭」。諏訪大社の上社と下社、それぞれ「御柱」を切り出す山を持ち、ここ上社は”八ヶ岳の御小屋山”からと決まっているそうです。ところがこの社有林、伊勢湾台風でかなりの巨木がなぎ倒され、今年は「下社からお借りした」とのこと。だとすると先月の山出し、御柱置き場まで「どんなルートで?」運んだんでしょう。

 「下社の東俣からトレーラーに積み込んでビーナスラインを経由しましたから、白樺湖も通ったでしょう? "御柱祭"始まって以来のことだから、通過地点の各所でお祭りをしたはずですよ」

 「それいつ頃でした?」
 「確か3月の末だったと思うけれど・・・・。」

 「判った!あの花火! "御柱"が白樺湖を通ったお祝いだったんだ」


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御柱祭

 "御柱祭"とは「寅と申の年の6年に1度、山の巨木を里に人力だけで曳き降ろし、諏訪大社各社殿の4隅に建てる」お祭りです。長野オリンピックの開会式でも披露されましたので、今ではすっかり全国版になりました。

 「里曳きは参加しないと・・・」と山小屋に修理に来てくれた水道屋さん。今年、自分達の町内は本宮一の御柱を引き当てたし、曳き綱も御柱に近い2番綱。「町内のハッピを貸しますから一緒に曳きましょう」と誘って下さいました。これはうれしいお申し出。早速5月の4日、ハッピを着て御柱の里曳きに参加してきました。

"御小屋の山のもみの木は

里へ降りて神となる"


と唄う木遣りと共に

春浅い4月に"山出し"され

御柱祭
風薫る5月、いよいよ"里曳き"


"ここは前宮一の坂

姉さも年寄もお願いだ

てこ方衆やれお願いだ"


 長さ16m、直径1m以上、重さ10tを上回る大木をコロも使わず(水はかけますが)人力だけで曳いていく。長さ200〜300mという曳き綱を街道を埋め尽くした人で曳いていくのですが、これはまさに巨大綱引き。全員が力を合わせないと動きません。ここで活躍するのが上記の"木遣り唄"。

 木遣りが唄われると「よし、曳くぞ!」、と心の準備が整い一斉に力が出せる。「柱を動かすのは木遣り次第」と言われますが、下手な(?)木遣りだといくら「お願い」されても力を入れる気にもならない、というのは本当でした。自分の木遣りで巨木が動き出す瞬間は、きっと唄い手冥利につきることでしょう。


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メド梃子

 毎回「死傷者が出る」と報道されるのは"山出し"の際の勇壮な"木落とし"。上社の木落とし坂は長さ約30m、斜度30度。下社の長さ(100m)はその倍以上で斜度35度以上という断崖です(皆さんがニュースで見るのは多分この場面)。"木落とし"の後で上社では、冷たい雪解け水を集めた宮川の"川越し"が待っています。

御柱祭

上社の鳥居をくぐる御柱(メド梃子)
 山を降りた御柱は御柱屋敷で1ヶ月の休息の後、それぞれの社殿に曳かれて行きます。

 上社の御柱は下社とは異なり、長さ6mの角のようなメドデコを前後につけているため、上社"里曳き"の最大の難所はこの鳥居くぐり。

 何度かの挑戦の後、最初に向こうのメドデコ、次いでこちらとギリギリで通り抜けると、曳き手からも観客からも一斉に拍手と歓声が湧き起こり祭りの一体感は最高潮!


 お昼は仲町地域の休憩所でいただきました。曳行中もそうでしたが、同じハッピを着ているだけで親しみを覚えるのは不思議。自分にも仲間がいると感じさせてくれる、こんなお祭りを持っている諏訪の方達が羨ましい。



 祭で小耳に挟んだちょっと気になる話:「申の御柱は景気が良く、寅は不景気」な年になるのだとか。どうやら当たっていそうな長引く不況に「次の御柱祭(2004年)が待ち遠しい!」心境になってきます。


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上社本宮

 御柱街道を曳かれた本宮一之柱は、5月5日に社殿の横に無事建てられました。祭りの翌日、様子が見たくなって行ってみると・・・。以前でしたらここに柱が建っている事すら気づかなかったのですが、今回は別。1日曳いただけなのに、もう懐かしい特別な存在になっていました。「My Onbashira」です。

一の御柱

上社本宮一の御柱
 柱を建てて神の降臨を願ったり大地の豊穣や子孫繁栄を祈る風習は、韓国やネパールなどアジア各地に残されていて、上社参道の入り口付近にある 諏訪市博物館ではカトマンズ(ネパール)の"柱祭り"の様子をビデオで見ることができます。

 また能登半島の 真脇遺跡や、金沢の チカモリ遺跡で発掘された巨木樹根は、その運搬・柱立ての労力を思うと

「御柱祭にソックリ!」

 ところが「所変われば品変わる」。太陽の再生や天体運行の安定を願う気持ちは同じでも、中米メキシコのマヤ・アステカ文明では「人間の心臓を太陽や大地に捧げる」という儀式になるのです。今回は"御柱"を通して、世界の広さと民族の多様性とを覗かせてもらったような気がします。

 仏教が普及する以前は日本でも、「"生け贄"を捧げて祈願する」ことは各地で行われていたのでしょうが、今はその痕跡を探すのも難しい。その中で貴重な資料を展示しているのが、茅野市神長官史料館。ここに来ると、諏訪大社信仰の原点を見ることができます。


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