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鉄の道 |
小浜から9号線をひた走ってきましたが、途中湯村温泉に入ったりハワイ(羽合)海岸で休憩したりしたので、博物館に着いたのがジャスト16:30。入館出来ませんでしたので、夕映えの写真だけを撮りました。地図上の入り口のため、ここでも最初に紹介していますが、実は「3日間かけて歩いた"鉄の道文化圏"最後の訪問地」がこの博物館、と言うことになりました。
夕映えの"和鋼博物館" : 建物の一部は市民ギャラリー 撮影後、広瀬に向かう橋の上で見た夕焼けは、息を呑むほどの美しさでした。 たたら : 足で踏んで送風する大きなフイゴ。転じて、フイゴを用いて「砂鉄(酸化鉄)を木炭で加熱・還元する」、日本式の製鉄法全般を指すようになった。 弥生時代に鉄が伝えられてから室町時代まで、山の中腹で風の良く吹く斜面に炉を築く、"野たたら"で鉄を産していたが、江戸時代になると天気に左右されないよう、高殿と言う建物を作り、その中で鉄を作るようになった。これを"永代たたら"と言う。 ハイビジョン・シアター : "炎と玉鋼(たたらに生きる)"は、永代たたらの基礎作りからたたら製鉄の操業の様子までを描いた、15分のドキュメンタリー番組。 ここで私は3日間の復習をさせてもらいましたが、これから"鉄の道"に足を踏み入れる人にとっては、概要をつかむ予習になります。必ず見て下さいね! 09:30・10:30・11:30・12:30・13:30・14:30・15:30・16:30の1日8回の上映。 |
入館料 : 大人700円(JAFカード提示で500円に) 中・高校生500円 小学生300円
TEL : 0854-23-2500
所在地 : 島根県安来市安来町1058
操業記録ビデオ"踏鞴(たたら)"を鉄の歴史博物館で見て、一番感動したのが"永代たたら"の床つくりでした。たたら製鉄は湿気を極端に嫌うため、その寝床は地上部の3倍もの深さ(約3m)の基礎が必要なのです。それもただ「積み重ねれば良い」、とう単純なものではなく、「知恵と技術が結晶」した作業の連続だから「スゴイ!」のです。では、この博物館の展示模型で、その技を簡単に説明いたします。
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フイゴ : "たたら"の語源になった送風装置で、模型の天秤フイゴは1691年に発明された物。これを踏むのは「番子(ばんこ)」と呼ばれ、交替制ではあるが、三昼夜の連続送風は過酷な労働であった。
もうお分かりですね。交替で何かをする時の「代わり番子」はここから来ています。 勉強不足なので明言は避けますが、これ以外にも製鉄作業を語源とした日本語は多々あるようです。ご存知の方、このコーナーで紹介したいので、どうか教えて下さい! |
"たたら"炎の図 |
砂鉄を入れて、木炭を入れて、砂鉄を入れて、木炭を入れて…。
木炭10tに砂鉄6tを投入される、炉内部と炎の変化。 釜の内部が徐々に熔け、底に鉄の塊"ケラ"(赤で示されてます)が出来ていく様子、おわかりになりますか? |
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村下(むらげ) : 床作りの采配から炉の粘土選び、砂鉄投入のタイミングからヒだしの時期まで、"たたら"操業は"村下"の指揮のもとに行われた。炉に火を入れてからヒを取り出すまでの三日三晩、気の抜けない不眠不休の作業が続く。
「炎を太陽の色に合わせて鉄を作る」。鉄の品質を左右したその技術は、一子相伝の世襲でした。 |
金銀より貴重だった? "鉄" |
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| "玉鋼"は、"たたら製鉄"で出来る鉄の総てを指す日本古来の呼称、かと思っていましたが、この言葉はとても新しい呼び名、なんだそうです。その辺のところは、リンク集でもご紹介しました黒鉄会さんの"たたらネット"に詳しく紹介されています。もっと鉄を深く知りたくなった方は、どうぞ飛んでみて下さい。 |
和鋼博物館を離れ、広瀬への道をたどる頃、頭上にきれいな筋雲が広がってきました。空が刻々とその赤みを増すにつれ、ソワソワと落ち着かない気分になり、安来節像のある橋まで来た時、ガマンできずに車を停めました。こんな豪華なヴェールの下では気が散って、運転どころじゃありませんからね。
わずか10分ではありましたが、華麗なショー・タイム。 見ているうちに、何故か泣けてきました。 夕焼け空って不思議です。 |
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