|
|
奴国の丘奴国・伊都国・末盧国 |
|
漢の皇帝から周辺諸国の王侯へと下賜された(らしい)ガラス壁。その一つは「須玖岡本遺跡から出土」、と書いてあったので地図で調べた最寄り駅、南福岡に行ってみました。駅で聞けば何かわかるだろう、と思ったのですが何故かチンプンカンプン。とりあえず「多分あそこ」、という場所を教えてもらい歩き出しました。
駅から徒歩約15分。教えられた所には道路脇に、「青銅器工房跡」の説明版があるのみ。
入り口のスイッチを押して、説明テープを聞きながら見学しましたが、「お墓をこんな形で見ていいのかしら」と後ろめたさと不安な気持ちにさせられてしまいました。他に見学者がいなかった(つまり一人だった)からかな。 甕棺墓 : 弥生時代前期の後半(紀元前後、と言いますから今から約2000年前)になると盛んに造られるようになり、その後北部九州の代表的な墓製として発達する。
甕棺墓・木棺墓・竪穴遺構が見られる 1899年(明治32年)に偶然発見された王墓も含め、須玖岡本遺跡の多くが今は住宅の下。「もっと早く重要性に気づいて保存しておけば良かったのですが、昭和30年代の宅地開発で農地は住宅地になってしまいました」とは、歴史資料館の職員さんの話。残念な現実ですがこれで、「須玖岡本遺跡」を地域の皆さんが知らなかった訳がわかりました。 |
墳墓跡や住居跡を含め、周辺は歴史公園になっています。中心は開設まもない(1998年12月オープン)歴史資料館。館内展示を見て初めて、先月新聞誌上をにぎわした「矢じりの鋳型出土 !」という考古学上の大発見は、ここが発信地だったと知りました。
一度に47の矢じりをつくれる鋳型のイラスト (出土遺物資料より) 新聞の写真で見たばかりで、まだ記憶も生々しい矢じりの鋳型。「大規模な青銅器鋳造工房だったことが改めて裏づけられた」証拠品の実物をここで見られるなんて、期待していなかっただけに感激ものでした。 次は「奴国」をテーマとした常設展示室。時代別に7つのテーマに分け、コンパクトにまとめられています。ここでの見ものは、周辺の工房跡から出土した鋳型類 (青銅器だけでなく、鉄器やガラス製品も )。遠隔地の遺跡から出土した銅製品が、ここの鋳型と合致することが先ごろ確認され、弥生時代の一大生産・流通センターだったことが裏づけられた、のだそうです。
受付に戻って、"壁(へき)"と王墓のことなど質問させてもらいました。最後に「あの模型はどこで見られのでしょう」と尋ねると、「以前、資料館建設が頓挫した時に、ふれあいセンターの中に"奴国展示室"を設け等身大のジオラマで、青銅器生産の様子などを再現しました」。がその後、貴重な発見などが相次ぎ、この歴史資料館開設の運びとなったのだそうです。
奴国の丘歴史資料館 建設計画に中断がなければ、当然ここにあったであろう王墓の模型。余程見たそうな顔をしていたのでしょうか、「ご覧になりたければ、センターまでお送りしましょう」とうれしいお申し出。 |
入館料 : 無料
TEL : 092-501-1144
所在地 : 福岡県春日市岡本3-57
お言葉に甘えて、車で10分ほどの春日市ふれあいセンターまで送ってもらいました。非売品の資料もいただいた上、途中で発掘中の"溝"の横を通ってもくれました。「今後の調査でこれらが一連の溝だと確認できれば、吉野ヶ里を上回る環濠集落になるんですが・・・」、と言いながら。春日市教育委員会の丸山さん、色々とありがとうございました。帰ったらいただいた資料でしっかり勉強します。
センター2階の一角が「奴国展示室」。考古学資料の多くが歴史資料館に移されたためか、ガランとした室内は青銅器生産のジオラマだけが目立ちます。モニターで見た「王墓」はマジック・ビジョンになっていて、人が近づくと・・・、こんな風に黄泉の国から浮かび上がってきてくれます。
もう1ヶ所の出土地、前原市の伊都国資料館に後日立ち寄りました。そこの「王がいた証」という小冊子に、三雲南小路遺跡の王墓から出土した"壁"の写真が出ていましたので、参考品としてここに載せておきます。 |
入館料 : 無料
TEL : 092-584-3366
所在地 : 春日市大谷6-24
古代の迎賓館「鴻臚館」。白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた日本は、防衛線として山城・水城を築く一方で立派な接待所も建造していた。当時の緊張した国際情勢を偲ばせるその施設の存在を、この1月「遠の朝廷」大宰府を訪れた時知ったので、今回は真っ先に訪問することにしました。
鴻臚館跡展示館 : 右手の塀が外野フェンス 天神で地下鉄を降りるとまるで縁日のような人出で、周辺道路も大渋滞。それもそのはず、「博多祇園山笠」の最中だったのです。では歩いて行こうと道を尋ねると、「アー、平和台ね」という返事。「エッ、平和台球場 ?」。野球好きな方なら良くご存じの平和台球場。鴻臚館跡はその外野席の改修工事中に発見されたんですって。 |
|
|
入館料 : 無料
TEL : 092-721-0282
所在地 : 福岡市中央区城内1-1
天明4年(1784年)3月、志賀の島の百姓甚兵衛により偶然発見された金印。日本書紀の記述を絶対とする、皇国史観(現代でもそこから抜け出しきれてはいませんが)全盛の江戸末期とあって、昭和6年に国宝に指定されるまで、金印には受難の歴史があったようです。
博多市内から海の中道を通り、志賀の島へ。島に入って時計回りに波打ちぎわの道路を走っていくと、右手に大きな標識。慌てて道路脇に車を停め階段を上ると、そう広くもない(猫の額のような ?)広場に「金印出土地」の石碑がありました。広場と言うより、海に向かって落ち込んだ崖の途中、という感じです。
金印公園展望台より玄海灘を望む 水田の手入れをしている時に発見された、というのでもっと広い場所かと思っていました。学者でもないのにこの地に立つと、「なぜ金印がこんな所に」と謎解きしたい気になりますね、確かに。 |
2001年9月現在、NHKの大河ドラマでは「北条時宗」を放映中です。金印公園近くの高台には蒙古襲来時の、「1274年の文永の役で、台風のため難破・戦死した蒙古兵士を弔う」ための蒙古塚がありました。
玄海灘を見下ろす蒙古塚 ハーンの命令で遠征し、異国の海で散った大草原の勇者達。この地に立つと、アジアの国々に「お国のため」にと送られた、太平洋戦争の日本兵の姿と重なってしまいそうです。 |
「奴国の丘編」の続き |
「日本編」に戻る |
「海外編」に戻る |