ラオス国旗

ラオス


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ラオス航空

 国営ラオス航空の所有する機体のほとんどが老朽化しているため、「ATR-72型機以外の機種には安全性に問題あり」との外務省の「注意喚起」が出ています。

ラオス航空

 それを真に受けてチケット購入の際、窓口で機種の確認をしましたら笑顔で「ATR-72型機は今修理中で飛んでいません」と答えられてしまいました。嘘か誠か定かではありませんが、機種を選んでいたらラオス国内の移動はままならない、ことだけは確かなようです。仕方ない、ここは運を天に任せることにいたしましょう。



国内線時刻表

QV301 PAKSE
06:20
QV901 HOUEISAY
07:00
QV401 XIENGKHUAN
08:30
QV701 SAMNEU
09:00
13:30
QV101 LUANG PHABANG
10:40
QV403 XIENGKHUAN
15:40
QV801 SAYABOURY
11:00
QV103 LUANG PHABANG
13:45
QV105 LUANG PHABANG
16:00
QV501 OUDOMSAY
11:00
QV601 LUANG NAMTHA
12:00

(2001年3月10日分)

 ラオスのガイドブックを眺めていて、最初に「行きたい!」と思った場所が、古代の石壷が点在すると言うジャール平原。近くには温泉もあると聞き、ますます訪問が楽しみになってきました。前日便が悪天欠航天だったため、この日は特別に朝2便。小雨降る中、私たちは1時間遅れの出発となりました。



ジャール平原への玄関口、シェンクアンへ飛ぶのは、Y7-100C

ビエンチャン〜シェンクアンのチケット代金は44ドルで、所要時間は約40分




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ポーンサワン

 ビエンチャン周辺は緑も濃かったのですが、山岳地帯に入り機体が高度を下げ始めると、眼下に見えてきたのは木々もまだらで穴ぼこだらけの山々ではないですか。空港も埃っぽい西部劇のセットを思わせ、"山の幸豊かな山岳地帯"を想像して来た身には、ちょっと意外な感じです。

ポーンサワン空港

シエンクアン県の新都 : ポーンサワンの空港

 知人が連絡を入れてくれたので、空港には日本青年海外協力隊のシェンクアン隊員4名が待っていてくれました。今回彼らと一緒に町から70キロ離れた温泉に行く予定なのですが・・・。開口一番、「明日も雨だと道がぬかるんで温泉まで行けないかもしれません」ですって。決定は明日の天気次第、と言うことになりました。



イミグレ ?

 他県への移動には出入境登録の制度があるようで、ポーンサワン空港では窓口でパスポートチェックがありました。ただ、ビエンチャンでも次に飛んだルアン・パバーンでもチェックされませんでしたので、これがどれほど強制力があるものなのかわかりません。



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ベトナム戦争

 まずは腹ごしらえ、と市場の食堂で食事をしながらのシエンクアン談義。雑談の中でベトナム戦争の話になりましたが、かの有名な補給路"ホーチミン・ルート"がこの地方を通っていたとは初耳でした。それを阻止するアメリカ軍の"種まき"にも似た空爆で、多くの命や町や村が失われたんだとか。それで新しい県都としてポーンサワンが造られたんですね。上空から見た荒涼とした風景も、西部劇のような空港もこの町も、その時の"後遺症"だったとは !

市場の食堂で

5人分の食事:ビールも入れて1人当たり7,000キップ(100円強)

 今でもラオスでは不発弾に脅かされ、"不発弾に注意"の張り紙が町の食堂にも見られます。"地雷注意"のカンボジアと事情が異なるとは言え、「インドシナ半島の戦争はまだ終わっていない」ことを、この町全体が語っているような気がしました。



 モン族 : ここで聞いたベトナム戦争の話の中で、最も衝撃を受けたのは"モン族の悲劇"。アメリカが戦闘に秀でた"モン族"を兵士として訓練し、最前線で闘わせていたこと、撤退時に彼らを置き去りにし多大な犠牲を強いたこと、など等。「あの戦争はベトナム国内だけ」ではなかったんだ。周辺諸国をも巻き込んだ大国アメリカのエゴに、改めて憤りを覚えてしまいました。一体国家って何者なのでしょう?

山岳民族の人々

民族衣装のお年寄りたち

そんな歴史背景を微塵も感じさせないほど、市場は人と品物と活気で溢れている。

ベトナムでも感じたのですが、人間って逞しいな。「人間万歳!」。



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ジャール平原

 朝からぐずついた天気でしたが、幸い昼過ぎには雨も止みました。タクシーをチャーターし、待望のジャール平原へと向かいました。町を外れると舗装は切れ、山里の泥んこ道を登るようになります。20〜30分も走ったでしょうか、車は牧場の柵のような場所で停車。そこが平原への入り口でした。

ジャール平原

ジャール平原 : 丘陵に立ち並ぶ古代の石壷達




サイト1

 ジャール平原はサイト1・2・3の3ヶ所に分かれていますが、町から近くかつ最大の壷があるというので、ほとんどの観光客が訪れるのがここサイト1。他のサイトも行きたかったのですが、最近この地方であった狙撃事件がまだ解決していないとかで、「ここ以外は危険」と言われ諦めました。

 ベトナム戦争の傷跡は一部住民の間では未だ深く、監視の行き届かない山間部では何が起こるか判らないのだとか。海外においては「自分の安全は自分で守る」しかないので、念には念を入れて行動してくださいね。

入場料は4,000キップ(50円弱) : ここにはトイレと売店がありました。



ジャール平原

小さな壷から人が入れるほど大きな物、割れたものや横倒しに土に埋もれた壷

起伏のある高原に、石壷が点在(集中的に)する様は、ミステリアスで正に"壮観"!!



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YS-12型機

 天気の回復を祈っていたのですが、翌日も雨。残念ながら温泉行きは断念、次の訪問地ルアンパバーンでゆっくりしようと、予定を1日早めて当地を去ることにしました。明日にはきっと晴れるだろう、と楽観していたのですが、まさかこれから1週間も雨が降り続くとはね・・・。

YS-12型機

さようならシェンクアン : 17人乗りの YS-12型機

この日の乗客はたったの8人。
小型機で天候不順な山岳地帯を越えるのは、スリル満点の経験でした。




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