ミャンマーの国旗

ミャンマー


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シュエジゴン・パゴダ

 昨日乗って馬車をチェックしましたが、かなり揺れるし幌で見通しが悪いので、見学の移動手段として1日300チャット(約50円)の貸し自転車を選びました。滞在中の3日間、オールドバガンまでの往復10キロとプラスαをサイクリング。自由が利くのは良いのですが、直射日光を浴びて赤茶けた大地を走り回るのはかなりハード。

 帽子、サングラス(日焼防止には長手袋が重宝)を用意し、適当に休憩を入れて日陰で休んで下さいね。

シュエジゴン・パゴダ

バガンを統一したAnowrahta(アノーヤター王:1044−1077年)が建設を始め、

その孫、Kyansittaha(チャンスィッター王:1084-1113年)の時完成


  最初の訪問地は、ニアゥンウーの村はずれにあるシュエジゴン・パゴダ。仏陀の遺骨と歯が納められていると言う巨大なパゴダは、ミャンマー仏塔の原型とも言われています。塗り替えのためか竹で足場が組んでありましたが、それでもその輝きは他を圧し、見ていると確かに「有難い」感じがしてきます。



シュエジゴン・パゴダ

四隅の小塔に安置された仏像
 境内はかなり広くて、後からと思われる様々な様式の建物に取り囲まれ、不思議なハーモニーをかもし出していました。

 拝む対象があまりにも巨大だからでしょうか、こちらにはパゴダの四隅に小さな塔が配され、中には立仏が安置されていました。上の写真の右端に見える、ベンガラ色の壁の建物がそれです。



 このパゴダから少しオールドバガン寄りに、同じ王様が建てたチャンスィッター窟院があります。瞑想用に使われていたのか、内部はいくつかの小部屋に分かれ、外観はちっとも派手さがないのですが、ここは珍しい壁画が残ることで有名なのです。

 真っ暗な院内を、持参のペンライトで一つ一つの壁を照らしながら奥へと進みます。仏陀の物語と思われる建物や僧侶の絵が続く中、明らかにタッチの異なる絵がありました。

 それは弓を引く、モンゴル兵の姿です。

 13世紀、バガン王朝を滅ばしたモンゴル兵が上書きしたとされるこの壁画。院内は撮影禁止のため、実物をお見せできないのが誠に残念です。


 最後に、バガン見物の必需品をもう一つ。この地域には壁画を持つ寺院も多いので、ペンライトより少し明るめの懐中電灯をお持ちください。高い所にある絵などは、ペンライトの光だとはっきりは見えませんからね。


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ティーローミンロー寺院

ティーローミンロー寺院

高さ45mのティーローミンロー寺院(1211−1234年)

 次に進路上に現れたのは、高さが45mあるという巨大な建物、ティーローミンロー寺院です。重量感がありながら、小塔の配置や外壁の装飾などにきめ細かさがあり、力強い美しさを感じました。特に四方に配された門から見ると、そのレンンガ色が青空に映えてきれいでしたよ。



ティーローミンロー寺院

ティーローミンローの仏様
 絵葉書で見て、2階からの眺めを楽しみにしていたのですが、どの階段も「足元危険のため」閉鎖。

 ここに限らず、今回私が訪れた有名な寺院の総てが、2階への昇降が禁止されていました。

 これが修復時の一時的措置なのか否かは不明ですが、寺院の2階に登れないとすると、バガンを上から眺められる場所は、シュエサンドー・パゴダミンガラーゼディ・パゴダの2ヶ所のみ。

 両者とも、寺院群から少し離れているので、絵葉書のように「巨大寺院を真横から眺める」迫力は望めません。建物を守るためでしょうが、ちょっと残念な事でした。




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アーナンダ寺院

 ティーローミンロー寺院から城壁へ向かって走ると、左手に見えてくるのが仏陀の一番弟子、アーナンダの名を冠したこの寺院。張り出して付けられた4つの入り口、直線を強調した本堂の外壁、中央塔へと導く上層階のライン、計算されつくしたフォルムは流石に「バガンで最も美しい」と言われるだけのことはあります。

アーナンダ寺院

Kyansittaha(チャンスィッター王:1084-1113年)

 外観も美しいのですが、内部に安置された9.5mの立仏も荘厳でしたし、何より本堂を取り巻く回廊の壁龕(へきがん:彫像などを置くため、壁面の一部をくぼませたもの)が素晴らしい。容姿も内容も完璧な、バガンの女王様、と言ったところでしょうか。

 マンダレー近郊のアマラプラにあるチャウットーヂー・パゴダは、ここを模したものです。



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仏陀誕生

アーナンダ寺院の壁龕には仏陀の生涯を描いた、素晴らしい浮き彫りがあります。

Nativity

Nativity : 仏陀誕生のシーン
 Nativity : 今から2500年ほど前、臨月が近づいた釈迦族の王妃マーヤー夫人が、実家に戻る途中でルンビニ園で休息を取る。満開の花を手折ろうと右手を上げた時、その右脇から王子シッダールタが生まれた。

 生まれると直ぐに七歩を歩み「天上天下唯我独尊」と宣言した、と言うのは有名な話ですね。

 Nativityは正にその誕生の瞬間を捕らえたもの。樹下に立つ夫人の右脇に、小さな仏陀が彫られているのですが、見えますか。右は夫人の妹、後に仏陀の養母となるマハーパジャパティです。



 尚、広辞苑に拠りますと「夫人が安産であったため、この樹を無憂樹(むうじゅ)と言い、その花を無憂華(むうげ)と言う」とありました。



アーナンダ寺院

壁龕(へきがん)のある寺院内部
髪を切る仏陀

髪を切る仏陀

 バガンの寺院の壁画は、仏陀の生涯を題材に取ったものが多いので、誕生シーンや出家のため"髪を切る仏陀"など、覚えて置かれると興味も倍増するでしょう。ただ"Nativity"は鉄格子がはまっていて少し見にくいし、"髪を切る仏陀"は高い所にあるのでこれも探し難いかも。見つけられなかったら、受付の人にこの写真を見せて教えてもらって下さい。


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タラバー門

タラバー門

Pyinbya(ピンビャー王:849年前後)が築いた、城壁と門

 アーナンダ寺院の向こうには、旧バガンの入り口タラバー門が見えています。オールド・バガンは目前ながら、見学しながらここまでくるのに半日かかり、今はもうお昼時。門前のレストラン(茶屋かな?)で食事をとり、一休みして午後に備えます。



木陰で休む少年僧

木陰で休む少年僧
バガン略歴: 1〜9世紀、この地域はピュー族が支配していた。

 今に残る碑文や遺物から、彼らが文字を用い仏教やヒンドゥー教を信奉していたこと、屈指の綿生産地として発展し、銀貨(6〜8世紀)を使用するなど、高度な文化を持っていたことが判っている。

 9世紀中頃、ピュー族は滅ばされ、その後この地にはビルマ族が入ってくる。11世紀、アノーヤター王(1044−1077年)が周辺地域を制圧、バガン王朝の基礎を築いた。



 849年に、ピンビャー王が築いたというタラバー門と城壁ですが、この王様はピュー族だったのでしょうか、それともビルマ族? 

 今これをカンボジアでまとめているため、図書館に調べに行くことができません。ご存知の方、どうか教えて下さいね。

 何はともあれ門をくぐって、さあオールド・バガンへ入りましょう。


 門の両側にはお堀が一部残り、その木陰で少年僧達が休んでいました。このままお味噌のCMにも出演できそうな、可愛らしいお坊さん達でした。


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