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ミャンマー


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タビィニュ寺院

タビィニュ寺院

Alaungsithu(アラウンズィトゥ王:1113−1163年)

 博物館の屋上から正面にドドーン、と見えていたのがこの寺院。バガンで一番高く(61m)、その外観から某国の国会議事堂を連想してしまいました。中も見学したはずですが、どんな様子だったか記憶が定かではありません。どの寺院でも売り子に取り囲まれ食傷気味だったこと、炎天下での強行軍に疲れ果てていたこと、それで集中力が途切れたのかと思います。で、ここでは写真だけです。悪しからず。

 蛇足ながらこの寺院建立の時期は、カンボジアの名宝アンコール・ワット創建の時期と重なります。



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ピタカタィク

 タビィニュ寺院やアーナンダ寺院など、ランドマーク的な巨大建造物なら問題ないのですが、タンドージャ石仏や経典を収めたピタカタィクなど、木立で隠れてしまうような小さな建物はちょっと探すのに手間どりました。地域内は轍が縦横無尽に走っていて、下だけ見て走っているとどこに居るのか判らなくなってしまうからです。

 でも、タラバー門方面からなら簡単です。どちらもタビィニュ寺院に向かう道筋にありまからね。

ピタカタィク

ピタカタイ (1048年) 
アノーヤター王:1044−1077年
タンドージャ石仏

タンドージャ石仏 (1284年)
ナラティハパテ王:1256−1287年

 アノーヤター王がタトォン(現モン州一帯:ヤンゴンの東、タイ国境付近)を制圧し、タトォン王マヌーハはじめ、様々な職業集団や経典を戦利品として持ち帰った。バガンまで来た時、経典を運んで来た象が止まって動かなくなったのがこの場所。で、ここに収蔵庫"ピタカタイ"を建て経典を収めた、のだそうです。タトォンからバガンまで直線距離にしても600キロ。途中山あり川ありですから、そりゃ象も疲れますよね。

 右のタンドージャ石仏は、聖地ポッパ山から切り出された凝灰岩で作ったもので、「バガンではこれだけ」と碑文は言っています。何故Than Dawkya(タンドージャ)と呼ばれているかは、『宮殿と石仏は、両方の声が聞こえるほど近くにあったから』だそうですが、ミャンマー語でThan Dawkyaって、一体どんな意味?



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シュエサンドー・パゴダ

シュエサンドー・パゴダ

シュエサンドー・パゴダ (1057年)
Anawrahta (アノーヤター王:1044−1077年)

夕陽を見ようと、本日最後の訪問地シュエサンドー・パゴダにやってきました。




シュエサンドー・パゴダ

シュエサンドー・パゴダ

 5層テラスの最上部に陣取り、刻々と表情を変えていくバガン王朝の栄華の跡を眺めます。日が傾くにつれ、赤茶けた大地のあちらこちらから自転車、馬車、車が集まってきて・・・、何時の間にかテラスは満杯。一段下がってシャッターチャンスを待ったのですが、この日の夕陽は雲の中。夕焼けも見られず、ちょっと残念でした。


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