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ペルー |
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1993年の1月、中米グァテマラまでのチケットを買って出発です。グアテマラに飛んだのは、あるガイドブックに「スペイン語の個人レッスン」の記事がでていたからです。この国の古都アンティグアで民宿に泊り、マンツーマンの授業を一週間。費用は約100ドル(滞在費込み)でした。 |
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グァテマラの古都アンティグア、ここでしばらく「お勉強」。この街で会った日本人に聞いて初めて、日本政府がペルーへの観光を勧めていないことを知りました。フジモリ大統領就任後の当時のペルーは、邦人がらみの事件が多発していましたから無理もありませんが、それを日本で知っていたら計画を取りやめていたかもしれないと思うと、「ここまで来てて良かった。」
情報集めに寄った日本食レストランでしたが、ここで聞いたペルーの話は怖いものばかり。トラブルにあってない人などいないのでは、と思えるほどです。「4000ドル取られちゃったけど、命があれば安いものよ。」と豪語するのは、定年退職後のんびり世界を回っている(羨ましい!)おば様。何度か盗難にあったと言う若者からは、「現金は分散させて隠し持っていった方が良いですよ。お勧めは靴底」とのアドバイスをもらいました。 この話を真に受け、靴の中敷きをはがして忍ばせてみたのですが、数日後に出してみたら印刷が擦れていてこれは却下。その後はオーソドックスに、腹巻財布とバッグに分散形式に戻しましたが、あの彼、本当にこの方法で持ち歩いたのでしょうかね? ここで購入したリマ往復チケットは700ドル。2000ドルの所持金のうちの700ドルは 痛いけれど、これでやっと「ペルーに行ける。」 |
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ペルーへ渡りたいという日本人が5人集まりました。リーダー格になったのが南米放浪
?年という福岡出身の自称「ツルさん」。リマに着くと皆を自分の定宿、ロドリゲスの家(一種の民宿です)に案内してくれましたが、この家の前の通りがすごい。新宿の歩行者天国の真ん中に車を走らせ、縁日の出店を並べた様なにぎやかさ。
人々の熱気が伝わってきます。
又、ストリート・チルドレンの姿も目立ちました。カフェで軽食を取り、まだ少しお皿に残したままおしゃべりをしていると、10歳前後の子どもが二人きて、それをぱっと袋に入れ逃げ出していったのには ア・ゼ・ン(唖然)。
リマでもう一個所是非見ていただきたいのが、郊外の高級住宅街にある「黄金博物館」です。楽しみにしていたので早めにいきましたのに、開館は12時から。立派な門の外で出店の人と片言の会話を交わしながら1時間も待ってしまいました。 それにしましてもここの金細工の数々、特にアクセサリーにはため息が出てしまいます。これが「侵略者達の食べのこし」というのですから、一体メイン・ディッシュはどんなだったのでしょう。 |
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インカ帝国の首都だったクスコにはリマから飛行機で1時間。6000メートル級のアンデス山脈を超えて行くため、気象状況の安定している午前中のフライトしかありません。 飛行機は小さいし強風で飛べない時もあるそうなので、リマに着いたらまずチケットの手配をしたほうがよさそうです。チケット代金は59ドルでした。 6時半の飛行機に乗るため5時前にロドリゲスの家を出ました。早朝のリマ空港は大きな荷物を持った人達でごった返しています。グァテマラでもそうでしたがインディオと呼ばれる彼らは、私たち日本人と同様に包む文化を持っているようで、色彩は違えど(とてもカラフル)大風呂敷姿には親しみが持てます。が、まるで引越しか非難民のような大荷物を持った人々が、カウンターに殺到する様は迫力を通り越して怖いほど。
それにしても、手に抱えた毛布が気になります。「そんなに寒いのかな?」ちなみに2月のペルーは日本の夏にあたりリマでは蒸し暑く感じる夜もあったほどです。
(*)
アンデス山脈 荷物も人も無事機内に収まりました。海抜150メートルのリマを飛び立った機がグングン高度を上げたかと思うとまもなく、眼下にこのような山並みが見えてきます。 「アンデスだ!」 うっとりとこの風景に見とれるうちに雪山がだんだん少なくなり、遠くに茶褐色の固まりが見えてきます。飛行機が高度を下げそれがクスコの街だとわかった時、期待と不安で胸がドキドキしてきました。だって長年憧れてきた街なんですもの、無理ないですよね。 |
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