シンガポール国旗

シンガポール


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シンガポール美術館

 聖アンドリュース教会から歴史博物館に向かう途中、前衛的な彫刻が目にとまり「何だろう?」と、吸い寄せられように入ってしまったのがここ "Singapore Art Museum"。、展示品はシンガポールを中心にしたアジアのアーティストの作品群。カップ麺などの容器を使ったり、生命維持装置風のチューブと花を結んだりと、世相を反映してかブラックユーモア的な作品も多かったですね。最後の部屋は、"書"のコーナー。現代アートに疲れた目には、この白黒の世界がとても新鮮に映りました。

シンガポール美術館

 この建物の前身は、1849年設立の名門男子校セント・ジョセフ学院。やや磨り減った階段、迷路のような展示室、そしてかつては爽やかな風が吹き抜けていたであろう回廊など、美術館自体が芸術品と言えそうです。



場所は、街歩きマップの\x87D



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歴史博物館

歴史博物館



ラッフルズ胸像
 ラッフルズの胸像が見守る館内は、1階がジオラマ版「シンガポールの歴史」。2階は写真・資料などで辿る「シンガポールの歩み」と「ペラナカン・ハウス」。

 中でも最も興味を覚えたのはペラナカン・ハウス。20世紀初頭のペラナカンの家が、応接間・居間・台所・新婚の部屋に分けて再現展示されていますので、お客になった気分でその生活の様子を味わうことができました。


注:ペラナカン(Peranakan)とは:中国人男性とマレー女性が結婚して、両者の文化生活様式がミックスしてできた、シンガポール独特の文化。



場所は、街歩きマップの\x87E



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シンガポールの歴史

 歴史博物館の入り口では館内案内と共に、「新加坡歴史縮映」という小冊子を手渡されました。中国語と日本語で書かれた「シンガポールの歴史」解説書、これを片手に第一展示室へと入って見ましょう。

1818年 シンガポール

1818年 シンガポール
 漂海民"オラン・ラウト"が運河を支配し、この地域の統治者となった。これは彼らの日常生活を描いたもの。



 この地域が歴史上に現れるのは19世紀前半、日本では幕末、浦賀にイギリス船が来航した時期にあたります。



1819年 ラッフルズ上陸

1819年 ラッフルズ上陸
 英国副総督、スタンフォード・ラッフルズはシンガポールに上陸、商館を開設することを要求した。(英国の植民地になる)



 主産業(染料を採るためのギャンビアの栽培)には中国からの移民が携わり、当初の街の建設にはインドの囚人たちが労働力として送り込まれた。  

 戦時中の1942年、シンガポールは日本軍の手におちたが、大戦後の1951年には英国王から自治都市の資格が与えられ、1962年には国民投票によりマレーシアと合併、その一部となった。



1965年 第一回国会

1965年 第一回国会
 シンガポールはマレーシアから分離独立し、最初の国会が開かれた。



 国会の右側が空席なのは、唯一の野党"社会統一戦線"が第一回国会を放棄したため、だそうです。



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アジア文明博物館

 正面のたたずまい、中央の吹き抜けと、それを取り囲むように配置された階段と展示室。アジア各国の古美術や民芸品を集めた展示内容も豊富で見ごたえがありますが、建物全体から伝わってくる暖かさと優しさは格別のものがありました。

アジア文明博物館

 それもそのはず、ここは学校の校舎を改築した博物館だったんです。きっと大切に使われていたんでしょう、建物自身が意思を持って客人を迎えてくれている、とそんな感じがしました。ボート・キー近くに別館ができるそうですが、ここはそのまま残しておいていただきたいものです。




場所は、街歩きマップの\x87F


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