シリア国旗

シリア


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ダマスカス

 ヨルダンの首都アンマンからセルビス(乗合タクシー)で北上、数キロの緩衝地帯を抜けてシリアに入ると、砂漠がちだった ヨルダンとここが陸続きだとは思えない、なだらかな牧草地帯が広がっていました。シリアはビザ取得手続きが大変だった国だけに、ダマスカスでセルビスを降りた時はちょっと緊張しましたが、街に警察官の姿が目立つほかは道行く人々の表情はいたってのどか、そしてここでも 「Welcome!」。



ダマスカス国立博物館

 解説文がアラビックとフレンチ、というのが多くて残念ですが、展示品は見ごたえがあります。大好きなペルシアガラスの展示コーナーではしばし釘付け。色・デザイン・保存状態も良く、宇宙をはめ込んだような神秘的なガラスの大皿などは、ここでしか見られないものかもしれません。コインのコレクションも膨大でしたが、どうもアレクサンダーのコインはなかったようです(見落としているかも)。

 帰りにカメラを預けた受け付け(シリアの博物館は撮影禁止)で、アルファベットのブローチをお土産に勧められました。「日本人はいくつも買っていく」のだそうですが、「見ていない」というとこれは大変というかのように

最古のアルファベット

「これを見てこなきゃ駄目じゃないか。電話しておくから見ておいで」

 で、Uターンです。入り口から右手の展示室、館員に案内されたそれは粘土板に彫られた世界最古のアルファベット(ウガリット発掘)。広い館内、膨大な展示品を見ているうちに注意力散漫になっていたのでしょう、先ほどこの展示室を見たはずなのに見落としていました。

 「何故この写真が撮れたの?」かと言いますと、実はこれ東京の三鷹市にある 中近東文化センターに展示されているレプリカ。ここの展示は充実していますので、きっと中近東に対する理解を深めてくれることでしょう。




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旧市街

スーク・アーケード
 城壁に囲まれた中世の色濃い旧市街、ダマスカスの見所はここに集中しています。スーク、ウマイヤド・モスク、アゼム宮殿、聖パウロゆかりの教会に東門。ご覧のようにメイン・ストリートは車と同居なので、ボーッと歩いてはいられませんが路地に入れば大丈夫。

 あちらの路地、こちらの路地と気ままに歩いているとクンクン何やらいい匂い。それは半地下になったパン屋さん(パン焼き工場)。手まねで「写真撮ってもいい?」と聞き何度かシャターを押していると、「ハイ」と焼き立てのパンを手渡してくれました。「ショクラン(ありがとう)!」

 スークを歩いていて感激したのが公共の水道で、コップまで置いてある親切さ。中には立派な装飾をほどこしたものもあり、この街の歴史を感じさせてくれました。


 シリアは「砂漠の国」、と言うイメージが強かっただけに、はっきり言ってこの水道には驚きました。ダマスカスを潤している水は、西の国境線にもなっているレバノン山脈からの伏流水。かつてレバノン杉で覆われていた山の恵みは、今もダマスカス市民の喉を潤し続けているのだなと、その水を飲みながら深い感慨にふけってしまいました。



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街角の珍商売


 「何か面白いものはないかな」と街を見渡すと、歩道に机を出しその上の小さな機械を操作している人をちらほらと見かけました。その前では順番待ちの人までいるので、近づいて作業風景を見学させてもらいました。

 シリアでは国民全員が身分証明書を携行、長距離バスに乗る時などはこれを提示してチケットを買っていました(旅行者はパスポートの提示)。この作業はそれに大統領一家の写真を挟み込む、というもの。まず証明書のビニールシールをはがし希望の写真(何パターンかありました)を置き、新しいビニールケースに入れ熱でシーリングする、のです。先ほど見たのは、このシーリング作業だったんですね。これが忠誠心をはかる尺度にでもなるのでしょうか、我も我もという熱気が伝わって来るような光景でした。

 もう一つの街角の商売は「水売り」。中でも一段と派手なコスチュームで水を売っている人にカメラを向けました。彼にそのデジカメ画像を見せていましたらワッと人だかり。と、すぐに誰かが割って入って何か一言。途端にクモの子を散らすように人はいなくなりました。

 集まってきたのも散っていったのも本当に瞬間のこと。最初呆気にとられてしまいましたが、あれはきっと秘密警察の人で「街中で集まったらいかん」とでも言ったのかもしれません。こちらには何のお咎めもありませんでしたが、ちょっとヒヤッとした出来事でした。




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パルミラ(タドモール)

 砂丘の向こうに初めてこの古代都市を目にした時「ドキッ」としました。空にそびえる柱の列が動物の肋骨のように、そう遺跡全体がまるで動物の墓場のように、一瞬思えたのです。道路は周壁に囲まれた遺跡の中央、ベル神殿とこの記念門の間を無情なナイフで切り裂くように現在のパルミラ・タウンへと続いています。

パルミラ記念門

物売りがたむろしていて迂回したくなった : 記念門

 ここからのびている列柱道路左手には、装飾舞台が美しいローマ劇場や取引場、中央広場には印象的な四面門、そして道は葬祭殿・ディオクレティアンの城塞へと続きます。この城塞上部に立ち、歩いてきた街を振り返るのもいいものです。右手の丘には塔墓、正面遠くベル神殿の向こうには緑が広がり、パルミラにはオアシスがあると実感出来ます。



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ベル神殿

 「ベル」とは、広くこの地方で信仰されていた最高神「ベール(バール)」のこと。ここでは西アジア神殿の特性がいくつか見られるそうですが、「西アジア的要素が濃い」というのが具体的にどこを指すのか専門的なことはわかりません。ただどこか土臭い懐かしさがあって、パルミラでは一番(特にこの「門」が)気に入りました。

ベル神殿


 1世紀ほど後に建てられた「 バールベック」(レバノンの代表的遺跡)も「バール」に捧げられた神殿ですが、あちらははっきり「ローマ」風、確かにかなり違いました。

 パルミラ遺跡の中でここだけは有料で、入場時間も決まっています。博物館も同じですので日帰りの方、時間のない方は注意して下さい。

 入場料 : 200ポンド:約500円
 OPEN : 08:00〜13:00、16:00〜18:00 (冬期の午後は14:00〜16:00)
 CLOSE : 火曜日



アレクサンダーのコイン : Part2

 パルミラの博物館で見たかったのは、国を滅ぼす一因にもなったといわれるゼノビア自身を刻印したコインです。第一室から順に見ていくと「あった!」。南展示室にあったそれは、思っていたより小さくて不鮮明ではありましたが、女性の横顔は見て取れます。

 AD270年頃この地に君臨した(夫の死後息子の後見人として)女王ゼノビア。クレオパトラの子孫を自称し、その美しさと気品と野心から伝説の世界へと旅立った、一人の女性の存在をここで確かめることができました。しかも アレクサンダーのコインの隣でです。

 アレクサンダーがこの地方を征服した頃(BC331年)、地中海とユーフラテス川流域を結ぶ交易路の要衝として、すでにパルミラは繁栄していたのでしょう。2つのコインを眺めながら、思いは古代へと遊びます。




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塔墓

塔墓

 列柱通りの突き当たり、城塞付近から街を見下ろすと、右手の丘の中腹にはこの街を見守るかのようにいくつかの塔墓が建っています。この塔墓と美しい壁画で知られる「三人兄弟」の地下墓室は、博物館入り口で入場料(100ポンド)を支払い車(ない人はタクシー:交渉次第ですが200ポンド前後)で移動となります。ここも時間が決まっていますので博物館窓口で確認のこと。

 遠景はアラブの城塞。この雰囲気、もちろんスケールとしてはこちらに軍配があがりますが、 韓国 にある東洋最古の天文台「瞻星台」と良く似ています。韓国に興味のある方、この天文台の名前が読めなかった方、韓国も訪問してみて下さい。



パルミラ夕景

 パルミラには柵がありません。ということは閉門時間も(入場料も)ないのです。これなら時間を気にしなくてすみます。遺跡をのぞむゼノビア・ホテルのカフェで、木陰を吹きぬける風を愛でながらボーッと日没を待つ、これも旅の醍醐味、至福の時です。

四面門夕景

パルミラ夕景(四面門にて)



 砂漠化した都市にいると現在の水事情が気になります。で、「どうしているんですか?」。 「25mも掘れば水は出ますが成分が強くて飲み水にはならない。飲料水は近くのオアシスから買っているけれど、数年後にはユーフラテス川からパイプラインを引いてくれると政府が約束してくれた」とはタクシーの運転手さんの答え。

 「ユーフラテス」、なんて魅力的な響きなんでしょう。ここからどこに行こうか迷っていましたが、今決めました。明日は「ユーフラテス川へ行こう!」って。




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デリゾール(ユーフラテス川)

 パルミラのバス営業所でデリゾール行きのバスを待つ間、暇つぶしに鶴を折りはじめたらこれが大受け、折り紙が小さかったので「大きい」のが欲しいとリクエストまで出たほどです。持っていた新聞紙で特大の鶴をプレゼントすると、まあ喜んだのなんのって・・・。彼はそれに紐をつけ、事務所の中央に吊るしました。今でもきっとあの事務所にはアサド大統領の写真と一緒に、新聞紙の折鶴が飾られていることでしょう。

吊り橋
 デリゾールの名所はユーフラテス川に架けられたこの吊り橋「デリゾール橋」。

 一人でいると男性が付きまとってうるさいので、河川敷の公園で子供たちを遊ばせていた女性の一団(後に姉妹と判明)の仲間入り、夕陽までの時を過ごします。

 右は公園で遊んでいた子供たち、親は次々に「家の子を撮って」でこの通り。

子供たち



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ユーフラテス川の夕陽


 シリアの人は大人も子供も人懐っこい。通る人は必ずと言っていいほど声をかけて行きますし、子供たちは「撮って、撮って」と写真をせがむ。この夕陽の時もそうでした。上記の子供たちが周囲にいて、夕陽に集中できないほどかしましかった。

ユーフラテス川の夕陽

 公園で知り合った姉妹に「家に泊まっていって」と勧められましたが、様子がわからないので「お茶だけね」と彼女達の家へ。疲れてはいましたが「シリアの家庭を覗いて見たい」という好奇心のほうが強かったのです。この家は49歳の母親に、32・(この間に兄弟2人)・24・21・17・12歳の5人姉妹とその子供たち、という大家族。何故詳しい年齢がわかったかって? 17歳の4女が紙に書いて教えてくれたからですが、この家庭が一般的だとするとシリアでは結婚年齢は低いようですね。

 ここで興味深かったのがベールの扱い(認識・常識)。家へ入ると同時に脱ぎ捨てたベールを、男性が帰ってくると「サッ」と着ける。その時平気な人がいたら、帰ってきたのは彼女のご主人、なんですね。その慌て振りと平然さの根底にあるのが、「夫以外の男性には髪(顔、素肌)を見せてはいけない」という教えなので、その都度「ヨシコも早くベールを着けなさい」と言われてしまいました。

 この日は総勢20名余りというこの大家族と共に、大きな丸いお盆を囲んで夕食までご馳走になってしまいました。よほど外国人が珍しいのか一挙手一投足に全員の視線が集中して・・・。ホテルへ帰り着いた時にはドドッと疲れが押し寄せてきて、「バタン・キュー」と相成りました。




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