ポタラ宮殿

チベット


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途中の村で

4月28日(第4日目)

06:30 起床、07:30 朝食、08:00 出発

シガツェ(3836m)−サキャ南寺(4200m)−カツォ・ラ(5250m)−新定日(4280m)定日珠峰賓館泊



 ラチェへ向かう途中の村で、歌を歌いながら楽しそうに作業をしている一団を目にしました。写真右端は、「撮影させて欲しい」と交渉しているわれ等がガイド氏と村人。中央の女性は、シャベルの柄の端につけたヒモを引っ張る役(2人で組むと、作業も楽ですよね)。

日干しレンガ作り

日干しレンガ作り



水汲み
水汲み

 「撮影OK」が出たので、作業の横を通り村の中(白い塀の中)に入れてもらいます。左右の人家を遠慮がちに覗き込みながら、数十メートルも歩くともう村はずれ。

 遠くの山まで途中には、さえぎる物も何も無い、茶褐色の荒涼とした風景の中に、コンクリート製の人工的なオブジェが一つ。

 意外なことにこれは(井戸ではなく)水道で、酪農家の牛乳缶のような容器を持って、農婦が一人水を汲みにきていました。

 日焼けした肌は貫禄がありました。彼女の後ろに見えているのが、その水道です。


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サキャ南寺

 その後4900mの峠を越え、サキャの町につく頃には体調は絶不調。唯一の観光スポットサキャ南寺の参拝もままならず、「私、車で待っています」。 30分ほど(皆さんが寺院を見て帰ってくるまで)休んで呼吸を整え、なんとか歩けるようになりました。やっとカメラを出す気にさせてくれた、サキャ南寺の望楼です。

サキャ南寺

蒼い空に映える、サキャ南寺望楼のエンジと白の縞模様(この地方特有だとか)

 サキャ寺豆知識 : 11世紀、サキャ派の開祖によってトゥム河北岸に建てられた(サキャ北寺)。13世紀、元王朝皇帝フビライ汗が、サキャ寺の座主により仏教に帰依したことから統治権を任され、トゥム河南岸にサキャ南寺も建立。以後100年ほど、サキャ派の僧侶がチベットを支配することとなった。

 空の蒼、望楼のエンジ、そして遠方の山裾に見える仏塔の白色のコントラスト。訴えかけるようなその美しさに、無意識にシャッターを押していました。帰国後調べてみると、1073年に建立されたサキャ北寺は、文化大革命で破壊され廃墟に。白い仏塔はサキャ北寺跡に再建されたものとわかり、複雑な気持ちになりました。諸行無常の世のはかなさも亦、土地にとどまり人に"美"を感じさせるものなのかもしれません。


 
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5250mの峠越え

 サキャで昼食をとり、さあいよいよ今回の最高地点カツォ・ラ越え。人家もない荒野に真っ直ぐ続く一本の道とそれに寄り添うような電柱の列は壮観、と言うか異様。チベット侵攻後、中国が真っ先に手がけた道路網の整備。我々の通っているのもその一つ、"中国・ネパール友好(軍事?)道路"なんです。

カツォ・ラ

カツォ・ラ(標高5250m)


 温泉も湧くというラチェからは山道に入り、車の振動だけでもかなり体力を消耗しました。軽い高山病も加わっていたのか、峠に着いてもすぐには動けない。この右手の丘に登ればヒマラヤ山脈が一望できるそうですが、その意欲も体力もなくこの写真を撮るのがやっと、でした。今となってはちょっと残念。

 今夜の宿はニューティンリー(新定日、標高4280m)の定日珠峰賓館。砂埃よけのためか、わずかしか開いていないドアから中に入ると、薄暗く殺風景で陰気くさいロビー。部屋までの長い廊下に敷いてあるカーペットも波打ち状態で、歩いていると車酔いが復活したようで気分が悪いのです。私にとっては最悪のホテルでしたが、後から考えると「高山病のせいだったかしら?」



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