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チベット |
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4月26日(第2日目)
04:00 起床、04:30 成都空港へ、06:40 中国西南航空(SZ4401便)にてチベットへ、08:40 クンガ空港着
成都(630m)−クンガ空港(3561m)−ツェタン(3320m)−ユムブ・ラカン見学ーツェタン・ホテル泊
チベットの空の玄関口 : クンガ空港 (標高3561m) 2000年4月26日、大町山岳博物館創立50周年記念、「友の会チョモランマBC"調査"トレッキング」の一員として、クンガ空港に降り立ちました。空港前の広場で、これから7日間行動を共にする現地スタッフ、ガイド氏・女医さん・運転手の方々、と初顔合わせ。本日は高度順応を兼ね、ラサよりやや標高の低い(と言っても3300mはあります)ツェタンへの移動です。はやる心を4台のランドクルーザに分乗させ、ヤルツァンポ川沿いに下ります。 |
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車で30分ほどの"ユムブ・ラカン"へと向かいます。 チベットはかつて海の底。水がひいた荒野の洞窟に、観音菩薩の化身"猿"が瞑想のため住むようになった。そこへ"羅刹女(人食い鬼)"がやってきて、「前世からの因縁がある」と結婚を迫った。 「断れば多くの人を殺す」と脅された"猿"は結婚を承諾。2人の間に生まれた6匹の子猿達は、成長するにつれ尾や体毛がなくなり、やがて人間(チベット人の先祖)となる。 彼らの子孫は瞬く間に地に満ちて、BC2世紀にこの地を支配するようになったのが、チベット初代の王、"ニャティ・ツァンポ"。
彼が"ユムブ・ラカン宮殿"を築いた、紀元前127年がチベット歴元年です。
チベット最古の建造物"ユムブ・ラカン" : 文化大革命で破壊され、現宮は1983年の再建 岩山の上にスックと建つ、姿はとても美しいのですが、ラサより標高が低いと言ってもここは富士山の8合目クラス。軟弱な我が身には、この登りがこたえます。つい最後尾になり雄弁なガイドさんの説明も、追いついた頃には終わっている、という始末。残っているのは印象的な「これは"メス鹿の後脚の上に建つ"という意味です」のフレーズだけ。それって岩山の名前なのかしら、それとも"ユムブ・ラカン"のこと? 紀元前127年と言うと、中国では漢の武帝が匈奴対策に頭を悩ませていた頃で、そのお隣の日本では、まだ弥生時代。 「奴国王朝貢、金印を賜う」と、初めて中国の歴史書に倭(日本)の名が現れるのは、これより200年ほど後のことになります。 チベットって歴史が古いんですね。 |
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4月27日(第3日目)
07:00 起床、07:45 朝食、08:30 出発
ツェタン(3320m)−シガツェ(3836m)−タシルンポ寺見学−シガツェ・ホテル泊
空港までは昨日来た道を戻り、ヤルツァンポ川に架けられた曲水橋を渡ってから左折、ラサとは反対方向の西への道を走ります。川沿いの道は平坦で、車に乗っている限りはあまり高度を感じません。メンバーの意気も盛んで、中々快調なツァーの滑り出しと言えます。
チベット第2の都市、シガチェ到着は16:30。「部屋に荷物を置いたらすぐ集合」と、出かけた所がタシルンポ寺。軽い高山病にかかっているのか全身がだるく、お寺の威容を前にして「エーッ、こんなに広いの!」。皆さんについて歩けるかどうか不安になってしまいました。
向かって右に見える大きな白壁は、巨大マンダラをかける場所 タシルンポ寺豆知識 : 戒律厳守のゲルク派開祖"ツォンカパ"。その弟子"ゲンドゥン・トゥブ"が1447年に建立した寺。16世紀に入り、転生者がモンゴルの王より"ダライ・ラマ"の称号を得たため、2人の前世者も遡って"ゲンドゥン・トゥブ"は観音菩薩の化身、初代"ダライ・ラマ"と呼ばれるようになった。 僧王"ダライ・ラマ" : ゲルク派は、論理的教義と僧院制度で次第に他の宗派を圧倒、17世紀にはチベット仏教界最大組織となる。それを背景に"ダライ・ラマ5世"はラサ・ポタラ宮を造営、ここに移り住んだ。僧侶であると同時にチベットの王でもある、僧王"ダライ・ラマ"の歴史はここに始まった。
建国神話の"猿"のこと覚えていますか? "ダライ・ラマ5世"以降300年の間、父親の血を引き継いだチベットの民は、観音菩薩の化身"ダライ・ラマ"の治世のもと、平和への道を追求しつづけ、稀有なチベット文化を育んでいくことになります。
見学の最後が、中国が威信をかけて建立した、と言うパンチェン・ラマ10世の霊塔でしたが、疲れもピークで頭も働かない。それより気になったのが向かいの中庭に建つ一本の柱。「あれっ、まるで" 御柱"みたい?」。帰国してから調べてみると、「タルポチェ:天と地をつなぐ聖なる柱」とあります。諏訪の御柱との関連やいかに。 |
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